1950年代

2012.09.07

日本橋(1956年)

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季節はずれのハマグリの潮汁。

 OLとOL、刑事と刑事、カウボーイとカウボーイ、軍人と軍人、北島マヤと姫川亜弓(『ガラスの仮面』)、ノエミとクリスタル(『ショーガール』)などなど、同じ職業のライバル同士が力の限り戦うことでお互いを認め合う友情映画はいっぱいあります。同じ人を愛する恋敵同士が、その愛し方を通して尊敬し合う映画もいっぱいあります。ずいぶん前に淡島千影追悼の気持ちでなにげなく見た市川崑監督『日本橋』も私にはそんな映画に思えました。好きなシーンがあったので泉鏡花の原作も読み、先日、日本橋でゆかりのある場所めぐりをして来ました。


 


 主人公のお孝(淡島千影)は日本橋の売れっ子芸者で、西河岸の延命地蔵尊の近くの露地で置屋を始めます。その露地には芸者の幽霊が出ると噂されていましたが、気の強いお孝は千世(若尾文子)をはじめ芸者をたくさん抱えて羽振りよくやっていました。お孝は美しく優しい清葉(山本富士子)をライバル視し、清葉が振った男を自分の恋人にするという当て付けを繰り返しています。北海道の海鮮問屋の五十嵐伝吾(柳永二郎)もその一人でしたがお孝に捨てられ、清葉への未練も断てず、すべてを捨てて東京で浮浪者になっていました。ある日、清葉は医学者の葛木晋三(品川隆二)の座敷に呼ばれ、清葉に姉の面影を重ねる葛木に思いを告げられますが、旦那のいる身の清葉は彼の思いに答えられません。一石橋で悲嘆にくれていた葛木は巡査に怪しまれ、尋問を受けているところをお孝に救われ……という物語です。



 市川崑監督が小村雪岱の絵のような画づくりをしているところが面白かったです。山本富士子が雪で真っ白に染まった橋の上を赤い傘を差して渡るシーンなどまさに小村雪岱の世界で、神保町シアターの客席から溜め息がもれていました。私が一番感動したのは、お孝が二階の窓から落してしまう扇を清葉が露地でキャッチするところです。『ショーガール』でノエミとクリスタルがドッグフードを食べた話をしながら高級シャンパンのクリスタルを飲むシーンに匹敵するくらいの、素晴らしい女の友情シーン。儚い身の上の芸者同士の友情をこんな美しく描く方法があるのかと、不覚にも涙してしまいました。この扇のシーンは原作にもあります。


 


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日本橋西河岸地蔵寺。


 お孝の置屋・稲葉家のすぐそばにある西河岸地蔵尊は今もありますが、昭和五十一年(一九七六年)に建て替えられたものだそうです。本堂には、明治座で『日本橋』が上演されたときにお千世を演じた花柳章太郎が奉納した小村雪岱画「お千世の図額」があり、申し込めば見ることができるとのこと。映画の中でお孝がお百度詣りをしていたお百度石もちゃんとありました。


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日本橋西河岸地蔵寺にあるお百度石。


 葛木とお孝が出会う一石橋もまだ残っています。泉鏡花が『日本橋』を出版したのは大正三年(一九一四年)で、この一石橋の親柱が建てられたのは大正十一年(一九二二年)。そしてその親柱のすぐ脇にある「迷子しらせ石標」は安政四年(一八五七年)に建てられたので、泉鏡花が『日本橋』を書く前からここにあることになります。


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葛木とお孝が出会う一石橋。


 一石橋の袂ではかつて「一石餅」が売られていたようです。しかし店は現存せず、どんな餅かすらわかりません。そのほかにも原作の『日本橋』には、苺や林檎が美味しそうな小紅屋という果物屋、河岸の立ち食い鮨、打切飴、大蒸篭で配る引越し蕎麦、上野の西洋料理、桶饂飩、八頭の甘煮、豆煎、天麩羅蕎麦、千草煎餅、紅茶などが出てきて、大正三年(一九一四年)当時の和食と洋食が混在している東京の食文化がわかるのも楽しいです。原作はそのほか「女二人が天麩羅で、祖母さんと私が饂飩なんだよ。考へて見ると、其の時分から意気地の無い江戸兒さ」なんてセリフもありました。通ぶってコダワリの蕎麦を食べるのが江戸っ子ではなくて、饂飩を食べる意気地のない感じが江戸っ子とは面白いです。


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一石橋迷子しらせ石標。


 葛木やお孝らが歩く日本橋は既に、辰野金吾が設計した赤レンガの帝國製麻ビル、東京火災保険、そして日本銀行が建っているモダン都市です。当時の建物はほとんど残ってないですが、日本銀行はいまでもその壮麗な姿を見ることができます。一石橋を渡ってその日本銀行の前に差し掛かるあたりで、実はこの映画で最も衝撃的な食事シーン、五十嵐伝吾が羆の毛皮の筒袖から蛆をむしって食べる場面が繰り広げられます。伝吾によると蛆を食べると身体が暖まって、何日も食事にありつけなくても平気なんだそうです。すごい生命力。『血と骨』のビートたけしみたいです。しかしOL日記に蛆を出すわけにはいかないので、ここでは葛木が放生会として一石橋から流した雛祭のサザエとハマグリにちなみ、ハマグリの潮汁を作りました。


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一石橋の方から眺めた日本銀行。


 貧しい家に生まれながら頭脳明晰で医学者の道が開けた葛木晋三。アザラシのような男でありながら実業家として成功した五十嵐伝吾。二人は日本の近代化によって道が開けたものの、生れた境遇の暗さを払いきれず、近代と近世の間で迷子になっているように見えます。そして置屋の女将として自立するはずが恋愛で挫折してしまうお孝と、「清葉さんは楽勤め」と腰掛けOLのように揶揄される芸者から一変してお孝の跡を継いで置屋の女将となる清葉も、同じではないでしょうか。赤レンガの西洋風のビル群と電車、花街や河岸や地蔵尊が混在する日本橋という町が、彼ら彼女らの姿に重なることは言うまでもありません。そして現代の自分とそうかけ離れてる世界ではないという気もするのでした。


 


 文庫に掲載されている佐藤春夫の解説には「この一篇を一貫する主題は愛情である」とありましたが、私は「餅屋は餅屋ぢゃ、職務は尊い」という巡査のセリフがこの本のキーになる言葉のような気がします。それは私が都会でサバイブ中のOLだからでしょうか。ハマグリの潮汁は五月頃に料理して撮ったものです。NHK「ためしてガッテン」でハマグリは加熱しすぎないよう気をつけると身がやわらかくふっくら仕上げられると言っていたので、ちょっと沸騰したところで火を止めて密閉性の高い蓋をして余熱でハマグリの口が開くまで温めてみました。だし、塩、酒、醤油のシンプルな味付けながら、たいへん美味しかったです。


 

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2012.01.17

モダン道中 その恋待ったなし(1958年)

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宮城県宮城郡松島町で買った松島こうれん。

 あけましておめでとうございます(遅い!)。年末年始は石巻へ行き、津波の被害を受けた友人の実家の改築祝いに参加してきました。元日の午前中には石巻を出発という慌しさでしたが、松島まで車で送っていただき、松島海岸、西行戻しの松公園、五大堂、瑞巌寺を生まれて初めて見物して仙石線に乗りました。日本三景と言われるだけあって風景も立派、素晴しいお寺でした。ぜひ旅行されることをおすすめします。松島といえば、昨年十一月、神保町シアターの「川本三郎編 東北映画紀行」で見た野村芳太郎監督『モダン道中 その恋待ったなし』にも松島で撮影したシーンがありました。


 


 平凡なサラリーマンの鶴川松夫(佐田啓二)が何気なく応募したテレビの懸賞番組で賞金を獲得し、東北・北海道の旅に出発するところから映画が始まります。汽車で隣同士になった自動車修理工の亀野竹彦(高橋貞二)と意気投合した松夫は、一緒に福島の飯坂温泉へ。竹彦は女中の弘子(川口のぶ)に惹かれて田舎出身の優しい女性と結婚することを夢見ますが、最初の恋は失敗に終わります。次に二人は松島へ。今度は松夫が、遊覧船の中で海老原ゆり(岡田茉莉子)とその妹のトンちゃん(宇野賀世子)と出会いますが、ゆりは富豪の令嬢らしき高嶺の花。恋が芽生えることもなく、スリの梅吉(桂小金治)と時化田刑事(坂本武)の事件に巻き込まれて、二人はさらに十和田、八戸、弘前へ。弘前で武彦は再び鈴子(桑野みゆき)に失恋しますが、旅の最終地の北海道で、松夫はゆりと、竹彦は鈴子と再会し……という恋と旅の映画です。



 松島海岸で友人のお父さんが自動車を運転しながら「この公園に大きいホテルさあったんだけど、あれ無ぐなったのか。パークホテルとかいったべなあ」と言ってたのですが、帰ってきてから、もしや『モダン道中 その恋待ったなし』で見た和洋折衷のレトロモダンな仰々しい建物がそれでは?と調べたら確かにそれが松島パークホテルでした。松島パークホテルを設計したのは、原爆ドーム(旧広島産業奨励館)を設計したヤン・レツルで、大正二年(一九一三年)に営業を開始し、昭和四十四年(一九六九年)に火事で焼けてしまったそうです。残念! 今でも存在していたら絶対に泊りたかったです。松島パークホテルについては、有志の方が作られている「松島パークホテル物語」というホームページに豊富な資料や写真が満載で、詳細を知ることができてとても面白いです。


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本堂は修理中でしたが広大で奥が深く見どころ満載の瑞巌寺。


 この映画は、タイトルは珍妙ですが、とても軽やかで楽しいコメディでした。岡田茉莉子が次から次へと着がえること着がえること! 茉莉子さまのモダンなオシャレを見るのも楽しみのひとつでした。そして今はなき松島パークホテルの映像に感動したように、桑野みゆきが手綱をとる馬車がゆっくりとめぐる弘前の町並を映した鮮やかなカラー映像も感動的です。現在の弘前を知っている人が見たら、きっとさらに感動するのでは。小津安二郎や木下恵介作品などに比べると、この作品や中村登監督『集金旅行』のような映画を見る機会はあまりありませんでしたが、山田洋次の(この『モダン道中 その恋待ったなし』で脚本を担当している)『男はつらいよ』シリーズなどは、この映画のような恋と人情と旅情たっぷりの松竹の軽いコメディ映画の伝統の上にあるような気がします。ちなみに第四十一作『寅次郎心の旅路』のロケ地は同じ松島でした。


 


 『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』日記のときには、松島名物「松島こうれん」の店舗と工場は津波の被害で水没して営業を停止していましたが、昨年夏に営業再開し、私が今年の正月に松島に訪れたときもお土産屋にたくさん並んでいました。初めて食べる松島こうれんは、白くて軽くてフワッと口中で溶け、ほのかな甘みで赤ちゃん用せんべいにそっくり! 松島こうれんの製造元、紅蓮屋心月庵の公式サイトにあるように、この米の粉のせんべいの伝説はなかなかヘビーな物語なのですが、創業嘉暦二年(一三二七年)という歴史の古さで長く定番の名物として親しまれているようです。震災によって長い歴史に幕を下ろさざるをえなかった店が東北各地に多い中、せめて営業再開できた店が、古い松島の面影を伝える銘菓を末永く作り続けられるよう祈ってます。公式サイトで通信販売も利用できるのでぜひどうぞ。


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臙脂と紫が混ざったような色のリボンが可愛い。


 


 


 

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2011.05.17

彼岸花(1958年)

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一年に一回だけ作る筍ご飯。

 四月に筍ご飯を作りました。世の中の野菜のほとんどが一年中スーパーマーケットで売られるなか、筍は数少ない「旬にしか店頭に並ばない野菜」のひとつなので、見かけると本当に冬が終わったんだなあと感じます。特に今年は、せめて長い長い冬だけでもやっと終わってくれたかと思いました。筍ご飯にしては大きめに切って歯応えを楽しもうと思ったら不評でしたが美味しかったです。しかし筍が出てくる映画…と考えても何も思い浮かばなかったので、再び、時間があれば映画館に足を運ぶ友人に聞いてみたら小津安二郎監督『彼岸花』という答えをもらい、久々に見返してみました。確かに冒頭で浪花千栄子と佐分利信が筍の話をしています。


 


 主人公の平山(佐分利信)は妻(田中絹代)と年頃の二人の娘、節子(有馬稲子)と久子(桑野みゆき)と暮らす父親です。音楽家の長沼(渡辺文雄)との交際を反対されて家出した文子(久我美子)とその父親の三上(笠智衆)との間を取り持ったり、京都の旅館の女将である母(浪花千栄子)に縁談を押し付けられて困る幸子(山本富士子)には理解を示す平山でしたが、突然現れた谷口(佐田啓二)の節子への求婚には猛反対し……という話です。


 


 『彼岸花』を初めて見たときに印象的だったのは浦野理一の着物です。中野翠著『小津ごのみ』(筑摩書房)の中に「沖縄の紅型を思わせるクッキリした柄のきもの」と書かれているように、全体の色の印象は藍や茶など渋めなのに、そこに染められている柄は幾何模様と民芸調が混ざったような力強さで、さらにそこへ山本富士子が締める帯も裾回しも真っ赤なので、「地味かつ派手」という不思議なインパクトを与える着物に女性としては目を奪われてしまったのでした。浦野理一の着物については先述した本の他、金井美恵子著『昔のミセス』(幻夢書房)の中でも触れられています。『昔のミセス』は、東山千栄子がガウン風ワンピースのモデルをつとめる「ミセス」一九六八年十月号のグラビアページが再録され、それについての金井美恵子さんならではのエッセイを読むことができたりして楽しい本です。


 


 この春は吉村昭著『三陸海岸大津波』(文春文庫)を読んで出てくる地名が現在流れているニュースとほぼ重なることに悲しくなり、昭和八年の大地震の前兆と同じように昨夏も石巻のイワシの漁獲高が前年の十一倍という異常な数値を示していたことにショックを受け、その後は関東大震災についての記述が出てくる本をパラパラめくっていました。その中の一冊が森茉莉著『記憶の絵』(ちくま文庫)で、森茉莉はヨーロッパを旅した後に千葉県の上総一ノ宮の別荘へ行き、帰京したその日、隅田川の川辺をタクシーで走っているときに地震に遭っています。


 


 森茉莉は家に到着すると下記のように食卓を見てメニューまでしっかり記憶しています。永井荷風も家が崩れなかったことを確認して安心した後に山形ホテルに行き、壁が崩れた食堂から運び出した食卓に座って外で昼食を食べたと『断腸亭日乗』(岩波文庫)に書いています。


茶の間に通ると私たち(後の車で来た珠樹と二人の義弟との六人)の為に用意されていた、鯛の刺身、あら煮、茄子の甘煮(うまに)等が、天井のごみや壁土で胡麻をふりかけたようになっている。そういう場合に逐一食卓を眺め渡し、それを又今だに覚えているのは、非常に残念だったからで、呆れるより他はない。 森茉莉『記憶の絵』(ちくま文庫)より


 


 そのようにパラパラと読んでいた森茉莉の本のなかに下記のようにあったので、どのようなものかと今年は筍だけで筍ご飯を作ってみました。筍を真正面から味わえる筍ご飯もいいなあと思いましたが、私は具沢山の筍ご飯も好きです。


筍飯に、油揚げが入ったり、栗飯に小豆が混入したり、鰻丼に卵を流したりというのは、すべてきらいで、へんにごちゃごちゃした着物の柄と同じで嫌厭している。 森茉莉著『記憶の絵』(ちくま文庫)より


 


 筍は年に一回しか料理しないのでついついいろいろ調べてしまうのですが、今のところ、筍に関するもので一番好きな文章は青木正児先生の『華国風味』(岩波文庫)に収録されている「焼筍」という章です。京都に移り住んだ青木先生は筍の美味しさに目覚め、庭に筍を植えて、すっかり取れたての筍のとりこになります。そのついでに先生は蘇東坡や高啓、揚基らが筍の美味しさを詠った詩を挙げて、中国の文人が焼筍を食べる風流の伝統を紹介してくれます。「噴飯」の語源となった故事でぶちまけた飯のおかずは「焼いた筍」だった事実も面白かったです。そう言えば浪花千栄子演じる女将の旅館も京都です。さぞかし「ええ方」の筍は美味しかったことでしょう。



 青木正児先生は京都の前には仙台に住んでいて、『華国風味』の中には、「鰕球鶏腰」という料理の説明をするために仙台の九重本舗・玉澤の「晒よし飴」も出てきます。『青葉城の鬼』日記でも紹介した「晒よし飴」は東京都内のデパートなどでも購入できるので、ぜひ買ってあげてください。


食べてみると、衣は脆美で、噛むと仙台の「葭飴」(飴を凍らせて作ったもので、仙台附近の大河原の名産)を噛むようにぼりぼりと砕けてしまう。 青木正児著『華国風味』(岩波文庫)より



 


 

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2011.02.11

稲妻(1952年)

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蕎麦映画と言っても過言ではない。

 高峰秀子が亡くなってついつい見てしまった『浮雲』は、久々だとまるで幽霊映画みたいでした。森雅之の視界に絶対に入らない高峰秀子は、まるで幽霊…。引き上げてきて最初の密会の場であるホテイホテルで、森雅之の顔は異様に真っ黒なのに高峰秀子の顔だけピカピカ光っているのも、まるで幽霊…。最後、高峰秀子の死体を見る森雅之は「ガーン! こんなん憑いてたのか!」と確認してるみたい…。などと考えながら用事で行った木場をブラブラしていたら、永代通りから心ひかれる小さな赤い橋が見えました。近づいてみると新田橋という橋で、説明の立札に「映画やテレビの舞台ともなり」と書いてあったので調べてみたら、なんと、高峰秀子主演、成瀬巳喜男監督、林芙美子原作『稲妻』に出てきた橋でした。高峰秀子に取り憑かれているのかも?



 新田橋は、清子(高峰秀子)と異父姉の光子(水戸光子)が、光子の急死した夫の妾の田上りつ(中北千枝子)を訪ねるシーンで出てきます。清子と光子は都電に乗っているので、たぶん木場二丁目あたりの駅で降りて、永代通りを歩き、新田橋のある路地に入ったと思われます。


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永代通りから見える新田橋。


 清子と光子が新田橋を渡ると、橋の袂にある家の二階の窓から洗濯物を干す中北千枝子の姿が見えます。映画の橋は赤くなく(白黒映画だけどたぶん)、もう少し地味な感じです。昔の橋は「旧新田橋」として門前仲町駅の近くにある八幡堀遊歩道に保存されています。


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橋の向うの右側の家の二階に中北千枝子がいた。


 新田橋を渡ってそのまま真っ直ぐ歩くと、赤い鳥居が見えてきて、それが洲崎神社だったのでビックリしました。川島雄三監督『洲崎パラダイス・赤信号』で、植村謙二郎が殺された場所です。洲崎遊郭の跡地はもう少し東の、東陽町に近い東陽三丁目のあたりなので、州崎神社がこんなところにあるのが意外でした。植村謙二郎といえば『稲妻』にも長女役の村田知栄子のダメ夫役で出演しています。映画を見ているだけではわかりませんでしたが、洲崎のすぐ隣で妾として囲われていた田上りつが、どんな経歴の女性だったのか、推して知るべしということなのでしょうか。清子と光子はその足で深川不動尊に寄ってお参りしています。


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川島雄三監督『洲崎パラダイス・赤信号』に登場した洲崎神社。


 『稲妻』は二回、蕎麦が出てきます。特に母(浦辺粂子)の家に高峰秀子と水戸光子が引っ越してくるシーンで、蕎麦が山盛りのせいろを畳の上にいっぱい並べて、家族全員で畳に這いつくばるようにして蕎麦をすする姿が美味しそうでした。この浦辺粂子演じる母がとにかく愚かで、聡明な清子(高峰秀子)は家族にだんだん嫌気がさして距離を置こうとするのですが、娘に「お母ちゃんはね、四人もの人と結婚したんでしょ。幸福だった? それで」と聞かれて、「幸福だなんて、そんなハイカラなこと!」と恥ずかしそうに答える浦辺粂子が笑っちゃうような悲しいような気持ちにさせられる母で、清子が最後まで憎みきれず突き放しきれないのがよくわかります。


 


 そんな山盛りせいろを見ているとさすがに蕎麦が食べたくなります。ちょうど富山から届いた鶴亀そばがあったので、自慢のざる蕎麦セットを使って食べました。鶴亀そばは、江戸時代から砺波の福野に伝わる独特の製法で小麦粉と新そばと自然薯で作られたものなんだそうです。でも富山はどちらかというと大門素麺とか氷見うどんとか小麦粉系のものが有名のような気がします。自慢のざる蕎麦セットは大学時代のサークルの先輩の結婚式の引き出物でした。


 


 『余命一ヶ月の花嫁』のロケ地が懐かしかったように、私は長らく東京のウエストサイドに住んでいたのですが、今はイーストサイドに住んでます。長く住んだ世田谷区や杉並区に後ろ髪ひかれつつもイーストサイドにやってきたのは、大学の史学科で日本近世史を専攻し、山本博文先生のゼミで学んだせいか、ずっと東京といえばその東側に強い憧れがあったからです。深川不動尊、富岡八幡宮、東京都現代美術館、州崎遊郭の跡地などをブラブラ歩き、どこまでが海だったのかを妄想して、明るい気持ちになったり暗い気持ちになったり。善いものであれ悪いものであれ、カッコいいものであれカッコ悪いものであれ、何にせよ歴史のある土地を歩いているとやっぱり興奮します。映画『稲妻』は私とは反対に、たぶん東側に住んでいると思われる家族から離れて、世田谷に下宿してひとり暮しを始めた高峰秀子を母が初めて訪ね、喧嘩して仲直りして、家に帰る母を高峰秀子が駅まで送るところで終わっていました。


 


 


 

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2011.01.27

浮雲(1955年)

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森雅之とコアントローの組み合わせはなんだかエロいと思う。

 昨年末、高峰秀子が亡くなってしまいましたね。子どもの頃の私にとっては高峰秀子は単なる古臭い女優で、父母が思い入れを持って語っても、どこが美しいのか何がいいのかさっぱりわかりませんでした。ところが名画座に通うようになり、真っ暗闇の映画館の中でひとり、高峰秀子演じる暗くて辛くて厳しい女の一生に繰り返し浸っているうちに、自分自身も後戻りできない一生のずいぶんと先の方まで来てしまった大人になり、気付けば高峰秀子の良さが胸に染みるようになってました。私にとっては「大人になる=高峰秀子の良さがわかる」という女優でした。


 


 高峰秀子作品というと思い出深いのは銀座の並木座です。その中でもよく憶えているのは、母と喧嘩しながら見た『浮雲』です。その頃、私は恋人に振られて荒れていて、せっかく上京して来た母と話をするのもイヤで、並木座に映画を見に行くと言って外に出て母を避けようとしました。ところが、そんな小娘のワガママごときにおとなしく引き下がるかよと頭に来た母も意地になって電車の中まで追いかけてきたのです。結局、ギャーギャー罵り合いながら一緒に銀座へ向かい、喧嘩したまま並木座に入って、離れた席に座って二人で『浮雲』と『驟雨』を見ることになりました。さすがに映画を見終わったら白黒映画のおっとりムードに感化され、「『花の命は短くて……』ってあの言葉は流行っとったちゃねえ」と帰りの地下鉄では昔話が始まり喧嘩はフェイドアウト。今から思えば私は若い頃の高峰秀子が演じた甘ったれた反抗的な娘のようでした。母子でそんな女の悲しみを描いた映画を見た思い出は、今はまだ自分の子どもっぽさを振り返って笑うだけですが、いつかきっともっと大切に反芻することになるのでしょう。


 


 映画だけでなく自叙伝『わたしの渡世日記』(文春文庫)の面白さも、私の高峰秀子への傾倒に拍車をかけました。初めて読んだときは、二階から小便をした話しか書いてない黒澤明の手紙がまごうことなく高峰秀子へのラブレターであることに妙に感動したものです。この恋の話は高峰秀子によって「私の『女』は成長していなかったのかもしれない」と語られ、周囲に引き裂かれた淡い恋ごころのように締めくくられているのですが、後に堀川弘道著『評伝 黒澤明』(ちくま文庫)を読むと、黒澤明のセーターを編んでいる矢口陽子に高峰秀子がイヤミを言うエピソードが書いてあり、そんなにサバサバ、仄々としただけの恋ではなかったことがわかり、ますます高峰秀子が好きになりました。サバサバした諦念とドロドロした未練が同居してこそ、高峰秀子という感じがします。


 


 映画『浮雲』は、昭和二十一年、日本に引き上げてきた幸田ゆき子(高峰秀子)が、富岡兼吾(森雅之)の家を訪ねるところから始まります。富岡は農林省の技師として仏印のダラットに赴任中、ゆき子と恋仲になり、妻(中北千枝子)と別れてゆき子と結婚する約束をしていましたが、戦争が終わり、日本へ戻って仕事も辞めてからは、すっかり人が変わってしまいました。頼る人が誰もいないゆき子は闇市の近くに下宿を借りてアメリカ兵の愛人となるのですが、富岡が訪ねてきて再びよりが戻ります。正月に伊香保を旅した二人は、清吉(加東大介)とその若い愛人おせい(岡田茉莉子)と知り合い、一緒に過ごすうちに富岡はおせいとただならぬ関係になります。ゆき子は今度こそ富岡と別れようと決心するのですが、自分の体に異変を感じ……という話です。


 


 初めて『浮雲』を見たときは、よくこんな陰気臭い映画がヒットしたものだと思いました。しかも部屋を訪ねて、室内で喧嘩して、外に出て並んで歩いての繰り返しです。かといって平板で単調な印象を与えない不思議はなんだろうとじっくり見ると、俳優の体の向き、顔の角度、光の当り方、美術、音楽のすべてに演出が行き届いていて、必要不可欠な描写が緊密に続き、気を抜く暇がないことがわかるのでした。全編を通して森雅之は高峰秀子に対してほぼ横向きか俯きで息苦しいくらいです。原作で言うところの「魂のエーテルを発散させる」ように、高峰秀子がカメラに向ってくる場面が三度あっても、ダラットで高峰秀子が真正面から向ってくる場面ではカメラと森雅之の視線は一致しているのに、あとの二回では森雅之はしっかり背中を向けていて、高峰秀子の白い丸顔を艶々と輝かせる愛は虚しく空振りします。だからこそ最後の屋久島で、もう輝かなくなった高峰秀子の丸顔を森雅之が自らランプをかざして照らす哀しさが胸に沁みるのでした。


 


 食べ物もムダなく登場し、ひもじく閉塞感のある日本を不味い果物で、豊かで洗練されたダラットの思い出をコアントローで印象づけます。コアントローは、ナイフとフォークで食べるダラットのディナーで森雅之が飲んでいました。私にとっては菓子の香り付けにしか使ったことのないリキュールですが、映画の中では、アジアでありながらフランス領という植民地の匂い、ただならぬ関係の富岡とベトナム女性の体臭を、オレンジの香りに乗せて強烈に立ち上らせていました。飲んでいるのがセクシーな森雅之、という点も重要です。そんな馥郁たるオレンジの香りとはうってかわって、戦争に負けて日本に引き上げてきたゆき子と富岡が食べるのは酸っぱいみかんや、ぼけた林檎ばかり。意外と、登場人物がこんなに果物を食べたり果物を話題にしたりする映画は実はあんまりないような気がします。


 

 
 ちなみにコアントローは原作にも出てきます。そして林芙美子がパリに滞在したときのエッセイ『巴里日記』(林芙美子全集 第四巻 文泉堂出版刊)にもコアントローは登場します。

三月十七日
風強し。なまあたゝかい春の風なり。昼間、コアントローを買って来て少し飲んだ。いゝ気持になつて、レコードをかけ、壁に凭れてききほれてゐる。裸で體操をする。

四月十六日
夜、クウ・ボックにて、S氏、O氏と食事。コアントロウを少し飲む。アリアンセを休んだ。

五月十日
夜、アリアンセに行き、ヒルダと隣席のインド人と戦争論を闘はす。帰り十一時。コアントロウを少し飲んで床につくけれど仲々眠れない。

五月二十四日
魚のスープに、魚のバタいため、海老ごはんを註文してみた。魚のスープは少しもくさくなくてわさびのやうな苦味(にが)い葉の刻んだのが浮いてゐた。海老ごはんの飯はバタでピカピカ光つてゐて固かつたけれど実に香ばしくておいしかつた。コアントロウを註文して飲む。

 『巴里日記』によると、パリに到着した当初の林芙美子は葡萄酒を飲んでいるのですが、そのうち夜に飲むのは「ペルノオ酒」ばかりになります。そして上記に引用したように、たまにコアントローが出てきます。レストランの会食で登場しているし、コアントローはちょっと気取って飲む酒だった?などと想像していたら、今川英子編、林芙美子著『林芙美子 巴里の恋―巴里の小遣ひ帳、一九三二年の日記、夫への手紙』(中公文庫)を読んで『巴里日記』がほとんどフィクションであることがわかりビックリしました。嵐山光三郎著『文人暴食』(新潮文庫)や森まゆみ著『女三人のシベリア鉄道』(集英社)も『巴里日記』を参照していたので、私の頭の中ではすっかり『巴里日記』で林芙美子像を描いていたのですが、直筆で現存している本物のパリ日記は内容がまるっきり異なり、パリ到着日や帰国日すら違っていて、ペルノーもコアントローも出てきません(ただし数ヶ月分は破り捨てられている)。


 


 


 恐るべし林芙美子。胡散臭くてたまらない人物ですが、林芙美子の小説はやっぱり面白いので好きです。引き上げてきたゆき子が敦賀の宿で風呂に入り部屋に戻ると火鉢のそばに丼いっぱいのらっきょうが置いてあるとか、アメリカ兵がゆき子の部屋に持ってきたのは白い大きな枕だったとか、屋久島への定期便の照国丸の乗客のほとんどが金魚鉢を持っているとか、次々と繰り出されるディテールが面白くて長い小説もあっという間に読み終わってしまいます。そして、林芙美子は言うまでもなく文学おたくで常人の才能ではないのですが、名家の出でも美人でもなく貧乏で田舎者で嫌われ者で、自分が都市にいる意義はガツガツ働くことと恋をすることしかないわと言っているような生き方に、しがないOLとしては共感を覚えるのでした。


 


 


 『浮雲』好きが高じて、数年前に伊香保まで行って年末年始を過ごしました。原作小説でゆき子と富岡が泊まった金太夫は今でもあるのですが、マンションみたいな立派な建物になっちゃってたので、貧相な旅館に泊まって風情を楽しみました。関東だからそんな寒くないだろうと舐めきって行ったらメチャクチャ寒かったです。伊香保のあの階段街は今でも夢に出てくるくらい印象的でしたが、『成瀬巳喜男の設計―美術監督は回想する』(筑摩書房)の中古智の証言によると、映画の階段街はセットで、風呂は伊豆で撮影したのだそうです。


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伊香保の正月は寒かった。


 


 


 


 

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2010.07.06

麗しのサブリナ(1954年)

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あまりの悔しさにスフレを焼いた!

 今年の一月、『ジュリー&ジュリア』公開記念にル・コルドン・ブルーが開催していたブログコンテストに出来心で応募したんです。優勝するとフランス料理基礎講座の学費(七十万円!)が無料になり、公式サイトで授業レポート記事を書ける、という賞品に目がくらんだのでした。そして最終面接まで進んだものの落ちました。面接では「合格者には、ありふれた授業レポートではない記事を書いてほしいのですが、あなたなら何を書きますか?」と聞かれ、単なる授業レポートを書くもんだと思ってた私はすっかり動揺。焦ったあまり「誰も読まねーよ! そんなクソつまんねーレポート!」という企画をプレゼンしてしまったところに後悔が残ります。とはいえ、私を蹴落とした優勝者のブログはコメント数も多く集客力のあるものだったので、敗因は企画どころの話じゃなかったのでしょう。あ~悔しい!


 


 ル・コルドン・ブルーといえばビリー・ワイルダー監督『麗しのサブリナ』に登場する料理学校です。この映画はオードリー・ヘプバーンよりもなによりもハンフリー・ボガートを見るのが楽しいです。新事業の製品である、サトウキビでできたプラスチックの強度を試すために銃をぶっ放したり、上に乗ってトランポリンのように跳ねたりするハンフリー・ボガート。おかしすぎ。映画には関係ないですが、ハンフリー・ボガートを見るたびに、私は嵐の二宮和也くんを思い出します。ハンフリー・ボガート≒二宮和也≒仲里依紗?


 


 


 大金持ちのララビー家に仕える運転手(ジョン・ウィリアムズ)の娘サブリナ(オードリー・ヘプバーン)が、雇い主の次男(ウィリアム・ホールデン)に失恋し、傷心のままフランスに渡って通う料理学校がル・コルンドン・ブルーです。男爵(マルセル・ダリオ)と一緒に、サブリナがスフレを焼くシーンがいっぱい出てきます。では、ル・コルドン・ブルーで学んだ日本女性の先駆けはというと、料理研究家の江上トミらしいです。この人の経歴を調べれば調べるほど、なんだか『ジュリー&ジュリア』のジュリア・チャイルドに似ていて面白いです。江上トミの生涯を誰かきちんと映画化かテレビドラマ化すればいいのになあ!


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サンデーきっちん (1963年)


 江上トミは明治三十二年(一八九九年)に熊本県に生まれます。ちなみにジュリア・チャイルドは大正元年(一九十二年)生まれです。江上トミの母のアサは、宮崎滔天の兄、宮崎八郎の婚約者だったのですが、八郎が西南戦争の八代萩原堤の戦いで戦死したため、トミの父に嫁いだのだそうです。トミは大正八年(一九一九年)に結婚し、昭和元年(一九ニ六年)には、陸軍造兵廠の技術官だった夫が大砲の砲身の研究のためにパリ勤務となり、トミも一年遅れて渡仏します。そしてル・コルドン・ブルーで二年間学ぶことになります。


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江上トミの料理一路 台所文化のさきがけ(1978年)


 ル・コルドン・ブルーの経験を活かし、トミは帰国後、料理学校を開いて、昭和三十一年(一九五六年)には日本初の料理帯番組「奥様お料理メモ」(日本テレビ)に出演します。ジュリア・チャイルドがル・コルドン・ブルーで学ぶのは昭和二十四年(一九四九年)からで、彼女が出演する料理番組「ザ・フレンチ・シェフ」がスタートするのは昭和三十八年(一九六三年)なので、すべてにおいてトミが先輩じゃないですか! ジュリア・チャイルドの夫は赤狩りの標的となった後の昭和三十六年(一九六一年)に政府の仕事を辞め、江上トミの夫は敗戦を機に軍の仕事を辞し、二人とも妻の補佐役に徹する後半生を送った点も似ていて面白いです。ジュリア・チャイルドは「サタデーナイトライブ」でダン・エイクロイドによってパロディが演じられ、江上トミは長谷川町子著『サザエさん』に登場する料理研究家のモデルにされ、二人とも茶化されるくらいの存在にまでなったところも似てます。

 コンテストで勝ち抜けなかったことがあまりに悔しくて、私もスフレを焼いてみることにしました。そのためにまずやったのは、広尾のル・スフレに行き、永井春男シェフのスフレを食べることです。作る前に食べる! 『初恋のきた道』日記に登場した餃子先生と、食全般に詳しい老舗の若旦那、『ベッカムに恋して』日記に登場したインド先生の四人で行ってきました。

 永井シェフのスフレは、オーボンヴュータンの河田勝彦シェフが『伝統こそ新しい』(朝日新聞出版)のなかで「ポール・ボキューズや、ジョエル・ロブションなど一流のフランス料理人も彼のスフレを真似ようと店を訪れていますが、あのスフレは、彼にしかできないものでしょう」と書いているようにとても有名です。四人でさんざん肉だ魚だ野菜だと食べてワインを飲み、「ヴァニラのスフレ」「フランボワーズのスフレ」「スフレ・ショコラ・メランジェのコニャック」「アニスを中心に数種類のスパイスが入った香り豊かなスフレ」を回し食い。コニャックのきいたレーズンが入ってたショコラ・メランジェが特に美味しく、アニスのスフレは個性的で強烈……! 時折、厨房の様子を遠目で見ると、シェフやスタッフの手元が絶えずクルクルと何かをかき混ぜてました。やっぱり鬼のようにメレンゲを泡立てていたのでしょうか。手で!? マジすか!?


 


 スフレはいろんなレシピがありますが、せっかくなのでル・コルドン・ブルー仕込みのジュリア・チャイルドの『Mastering the Art of French Cooking』のヴァニラのスフレと『ル・コルドン・ブルーのフランス料理基礎ノート サブリナを夢みて』のコアントロー風味のスフレのレシピをチェックしてみました。基本的にクレーム・パティシエールを作ってメレンゲと混ぜて焼く、のは共通してるのですが、ジュリア・チャイルドのクレーム・パティシエールはバターが入るけどル・コルドン・ブルーのは入らない、ル・コルドン・ブルーは卵黄と砂糖を白っぽくなるまで混ぜるけどジュリア・チャイルドは卵黄を牛乳と薄力粉と砂糖を混ぜたものに加える、ル・コルドン・ブルーは200℃で12~15分焼くけどジュリア・チャイルドは204℃で余熱して190℃で30分~35分焼く、などいろいろ細かいところは異なります。


 


 うちのオーブンでは、ル・コルドン・ブルーのレシピだと何度やっても生焼けになるので、焼き方はジュリア・チャイルドを参考にしました。初心者なので最もシンプルなものを作りましたが、出来立てを食べる菓子だけに卵の匂いが強すぎるので、果物ソースやアイスクリームをかけたり、チョコレートや酒やチーズで風味を工夫したり、どんどんアレンジしたほうが美味しいと思われます。


cake ヴァニラ・スフレ
(直径約9cmのココット4個分)

【材料】
◎クレーム・パティシエール
・牛乳 250cc
・砂糖 60g
・薄力粉 20g
・コーンスターチ 20g
・バニラの鞘 1本
・卵黄 2個

◎メレンゲ
・卵白 4個
・砂糖 大さじ2

【作り方】
・オーブンを200℃に余熱しておく
・ココットにバターを塗って、グラニュー糖を薄くまぶして冷蔵庫に入れておく
・最初にクレーム・パティシエールを作るため牛乳を鍋で熱する
・鞘からヴァニラビーンズを取って牛乳に入れて、火にかけ、80℃~90℃になるまで熱する
・卵黄と砂糖を白くなるまで泡立て器でかき混ぜる
・薄力粉とコーンスターチをふるいにかけて加えてよく混ぜる
・牛乳を少しずつ加えて混ぜて、鍋にもどす
・焦げないように注意しつつ熱し、とろみが出て、ちょっと泡が出てきたら火からおろす
・クレーム・パティシエールをボールにあけて氷水に浸けて冷やす
・ダマになってたら漉す
・卵白を泡立て器で混ぜて八分立てくらいにする
・砂糖を加え、しっかり角が立つまでさらに混ぜる
・メレンゲの1/4をクレーム・パティシエールに加えて気泡をつぶさないように混ぜる
・残りのメレンゲも加えて混ぜる
・用意しておいたココットに生地を入れて表面をナイフなどで平らにならす
・ココットの縁から約5mm~1cmの深さに指を入れて、縁をなぞって溝を作る
・200℃で余熱しておいたオーブンにココットを入れ、190℃で30~35分間焼く


cake ジュリア・チャイルドのヴァニラのスフレ
※6個分

【材料】
(tbsp=14.78ml tsp=4.92ml)

◎クレーム・パティシエール用
・薄力粉 2tbsp(ふるいにかける)
・牛乳 150cc
・グラニュー糖 53g
・卵黄 4個
・バター 2tbsp(室温でやわらかくしておく)

◎メレンゲ用
・卵白 5個
・塩 少々
・グラニュー糖 1tbsp

◎香り用
・バニラエッセンス 2tbsp

【作り方】
・204℃でオーブンを余熱しておく
・スフレ型の表面にバターを塗って、グラニュー糖を薄くまぶしておく
・クレーム・パティシエールを作るために鍋で少々の牛乳と小麦粉をよく混ぜる
・残りの牛乳と砂糖を加える
・鍋を火にかけて沸騰するまでほどよくあたため、沸騰したら、30秒間よくかき混ぜる
・ソースがもったりとするので火から下ろし、粗熱がとれるまで約2分間かき混ぜる
・ソースの真ん中に卵黄を一個ずつ、それぞれよくかき混ぜながら入れる
・室温でやわらかくしておいたバターを半分加えて混ぜる
・ゴムべらできれいに鍋のなかでまとめ、表面に皮ができないように、残りのバターで覆う
・もし次の手順に進む前に皮ができてしまったら、ちょっとだけ加熱する
・卵白と塩少々を混ぜて泡立て、八分立てくらいになったら砂糖を加え、しっかり角が立つまでさらに泡立てる
・クレームパティシエールにバニラエッセンスを加えて混ぜたら、メレンゲの1/4を加えて混ぜる
・残りのメレンゲを加えて気泡をつぶさないように繊細に混ぜる
・用意しておいたスフレ型に縁から約3cm下まで、スフレの生地を注ぐ
・余熱しておいたオーブンを190℃に下げて約20分間焼き、スフレが膨らみ始めたところでてっぺんに粉砂糖をふりかける
・さらに10分~15分間焼いて、てっぺんが茶色になったら、串を刺して抜いてみて、生地がつかなかったらできあがり

(ジュリア・チャイルド著『Mastering the Art of French Cooking』より)


 


 


 

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2010.01.21

歴史は女で作られる(1956年)

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ローラ・モンテスは白くて丸くて小さい菓子を食べてました。

 『女王エリザベス』『エリザベス』『ルートヴィヒ』『エリザベス・ゴールデンエイジ』『ブーリン家の姉妹』に続く、王室シリーズです。といっても『ルートヴィヒ』のルートヴィヒ2世の祖父、ルートヴィヒ1世(1786年~1868年)の愛人だった踊り子、ローラ・モンテスが主人公です。監督はマックス・オフュルスです。

 マックス・オフュルスの映画は、女性ならみんな気に入るのではないでしょうか!ドラマチックな映像、ロマンチックな音楽で惚れ惚れします。題名を伏せられてマックス・オフュルス作品を見せられても、誰が監督したかすぐわかる気がします。常に宝石やクリスタルや灯りがキラキラ、上からいろんな物がブラブラ、螺旋階段や回転木馬がクルクルしてます。そしてゴージャスな吹き抜け、横に長ーーい空間などなど他で見たことのない特徴のある映像が繰り広げられます。白黒映画も素晴らしいのですが、この『歴史は女で作られる』のようなカラー映画ももっとたくさん撮ってほしかったです。


 


 アメリカのサーカス芸人となったローラ・モンテス(マルティーヌ・キャロル)がフランツ・リスト(ウィル・キャドフリーグ)、ロシア皇帝、名指揮者、ワーグナー、ルートヴィヒ1世(アントン・ウォルブルック)らとの華々しい恋の思い出を語りながらアクロバティックな見世物を演じる、という設定で、回想シーンを織り交ぜて彼女の半生を描く映画です。語り部であるサーカスの団長はピーター・ユスティノフが演じています。

 ローラ・モンテスを演じるマルティーヌ・キャロルがとても美しくて肉感的かつ暗くて冷たくて頑固そうな女性で、こめかみがヒクヒクする感じといい日本にもこういう女性はいるなあと思いながら見てました。最近だと鈴木京香とか? 元高級娼婦のサーカス芸人を演じるムチムチの鈴木京香……。けっこういたたまれない感じでよいのではないでしょうか。

 ルートヴィヒ1世の謁見がかなったローラ・モンテスは、ある大胆な方法で自分をアピールします。ローラに籠絡されたルートヴィヒ1世はお抱えの画家に彼女のヌードの肖像画を描かせ、それを飾る別荘で2人の同棲生活が始まります。ルートヴィヒ1世の食べかけの菓子をローラ・モンテスが横取りしてかじる姿を見るだけで、何の説明がなくても2人が愛人関係になったことがわかるのですが、残念ながらこの菓子がなんなのかはよく見えません。タルトレットくらいの小ささで白い粉が振りかけてあるようですが、ドイツ菓子の本をいろいろ見ても私には特定できなかったので、1845年に出版されたヘンリエッタ・ダビディス著『Praktisches Kochbuch für die gewöhnliche und feinere Küche』の英訳版を参考にして、ドイツ菓子の定番と言われるアーモンドケーキを作ってみました。



 ルートヴィヒ1世ならば、ヴェストファーレンの主婦であるヘンリエッタ・ダビディスが作るような庶民的な菓子ではなく、フランス仕込みの宮廷料理人が作った高級菓子とかを食べていた気がします。しかもヴェストファーレンとバイエルンでは地域も全然違います。とりあえず当時のドイツの「気分」だけ味わってみるということで……。

cake ヘンリエッタ・ダビディスのアーモンドケーキ

【材料】
(1パウンド=453.592g)
・小麦粉 1/2パウンド 
・バター 1/4パウンド
・粉砂糖 1/4ポウンド
・甘いアーモンド 1/4パウンド
・苦いアーモンド 6個
・卵 2個

【作り方】
・バターを溶かす
・卵を1個ずつ加える
・砂糖、アーモンドを加えて15分混ぜる
・小麦粉を加えながらかき混ぜる
・型に入れる
・ちょうどいい黄色になるまで焼く
・ゼリーを塗る
・ケーキを切り分けて、粉砂糖をふりかける

 ローラ・モンテスは国の金で贅沢三昧し、国政にも口を出し、不況で鬱憤のたまっていたミュンヘンの貴族、学生、軍隊の反感をかいまくります。1848年にはとうとう国外へ追い出され、ルートヴィヒ1世も息子(マクシミリアン2世)に王位を譲ることになります。ジャン・デ・カールの『狂王ルートヴィヒ』(中公文庫)によると、ローラの屋敷の窓の下におしかけたデモ隊に、彼女は熱いチョコレートや冷たいシャンパンをふりかけたそうです。ちなみに映画にはそのようなシーンはありません。


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2010.01.20

海底2万マイル(1954年)

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わが家にスルメイカ様がやってきました。

 年末、わが家に宮城県石巻市からスルメイカ様がやってきました。せっかくなのでイカが出てくる映画……と思い、巨大イカが登場する『ザ・ビースト』を見たのですが、こちらはTV用作品なので映画日記の対象外です。次に同じく巨大イカが出てくる『海底2万マイル』を見ました。リチャード・フライシャーが監督したディズニーの実写長編作品です。そういえば『ザ・ビースト』にも「『海底2万マイル』が大好きで100回見た」という潜水艦乗りの若者が出てきました。


 


 映画を見終わって、私の心に残ったのは巨大イカでなく、カーク・ダグラスでした。なんであんなに敏捷で明るくて元気でのびのびしてるんでしょうか。いやー、すごい人です。でも暗いネモ船長(ジェームス・メイスン)も放っておけません。私ならば暗いネモ船長と結婚して一緒に潜水艦で旅して、ネッド(カーク・ダグラス)は永遠の恋人。アロナクス教授(ポール・ルーカス)は時々遊びに来てもらって世界情勢や新発見についておしゃべりして、コンセイユ(ピーター・ローレ)はいぢめたりからかったりする友だち。といったところでしょうか。

 原作は単なる冒険小説でなく、いろんな知識が詰め込まれているわけですが、動植物、船舶技術、文学、気象、海難事故や冒険話などの他に、実は食べ物についてもいっぱい記述があるところが楽しいです。蔵書数一万二千冊の図書室や最新技術の動力、巨匠たちの音楽や絵画、世界中の海産物の標本と同様に、美食もネモ船長がノーチラス号に積んだ宝物であり、博物学者のアロナクス教授の興味は、南極や深海だけでなく海や島で出会う珍しい食べ物にも向けられるのでした。ノーチラス号のキャッチコピーみたいな言葉「動中の動」(MOBILIS IN MOBILI)が刻まれているのが食堂の食器、というところにもジュール・ヴェルヌの食へのこだわりが感じられるのではないでしょうか。

 ジュール・ヴェルヌは1847年からパリに住みはじめ、法学士を目指して学生生活を送り、『海底2万マイル』の原作が刊行されたのは1870年です。レストラン文化が熟していたパリでの生活が、ネモ船長のこだわりやアロナクス教授の好奇心に影響を及ぼしているはずです。豚のシチューのようなイルカの肝臓、クジラのミルクからつくったクリーム、海草の大ヒバマタからとった砂糖、イソギンチャクのジャム、アーティーチョークに似たパンノキの実、トリュフを食べている鶏肉に似たニクズクの香りがするハト、カンガルーの蒸し焼き、子牛の肉より美味しいジュゴンの肉、カマスベラのはらわた、ウツボの白子、クジャクの脳みそ、フラミンゴの舌、コショウで料理したイシマテガイ、蜂蜜とパンノキの粉のケーキ、クリスマムの酢づけ、豚のレバーに似ているアザラシのレバー料理、牛肉や子牛の肉より美味しいマナティーの肉……などなど、原作に登場する食べ物を想像していると腹がすいてきます。

 ちなみにノーチラス号の食堂は原作の中で、リヴァプールのアデルフィ・ホテルか、パリのグランド・ホテルの食堂のようだと描写されています。アデルフィ・ホテルは1826年に創業されました。スティーヴン・メネルの『食卓の歴史』によると、ロンドンで美味しいものが食べられる場所といえば最初はクラブだったのが、1820年以降、クラブの増加に伴って食事の水準が下がってからは、うまい料理にありつける場所というと高級ホテルに変わったのだそうです。まさにノーチラス号の食堂はイギリスの美食の最先端の場所に例えられているわけです。そしてグランド・ホテルは1867年開催のパリ万博の客を迎えるために1862年に創業し、日本から派遣された徳川昭武一行も宿泊した場所です。オペラ座と同じシャルル・ガルニエによって設計された最新ホテルのレストランは、やはりフランスの美食の最先端の場所だったはずです。ノーチラス号の食堂はどれだけ素晴らしい空間だったのでしょうか! 妄想が膨らみます。


 


 


 では、そんなノーチラス号での食事が映画の中ではどのように描かれていたのでしょうか。アロナクス教授が子牛だと思って食べていたのは海ヘビのフィレ。コンセイユが羊肉だと思って食べていたのはフグの胸肉とフジツボのたれをかけたホヤのドレッシング添え。ネッドがデザートに食べるクリームは巨大なマッコウクジラのミルクからつくられていました。美味しい果物はナマコ。プディングはタコの白子のソテー。料理の説明を聞き、耐えかねたネッドは最後にピューッとプディングを吐き出します。ネモ船長とジュール・ヴェルヌがこだわった海の美食が、映画では単なるゲテ物あつかいだったのは残念でした。

 そして、もちろん巨大イカは戦うだけで、食べたりはしません。しかし、原作を読み進むうちに、衝撃の事実が……! 原作で戦うのはイカでなくタコでした。どうして映画ではイカに変えたのでしょうか? とても気になります。わが家ではイカの胴に里芋の煮ころがしと細かく切った足とすった生姜を詰めて煮て、輪切りにして食べました。



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2009.12.20

エデンの東(1954年)

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黄色いバースデーケーキ。

 『レボリューショナリー・ロード』でレオナルド・ディカプリオと不倫してオッパイを見せる女の子を演じるゾーイ・カザンは、エリア・カザンの孫なんだそうです。そういや顔が似てます。それで今さら『エデンの東』を見た、わけではなくて、今さら原作を読んだので映画ももう一回見てみたのでした。このレナード・ローゼンマンの『エデンの東』のテーマ曲は、昔の富山の子どもにとっては「富山テレビの夕方の天気予報の曲」です。


 


 この映画化では、原作の主要人物である中国人の使用人、リーがまったく出てこないのが淋しいです。2011年公開予定でリメイク中らしいですが、これ上手く作れば、クリント・イーストウッド作品のような味わいを持つ映画、たとえば『グラン・トリノ』のような映画になる可能性もあるのではないでしょうか。全然関係ないですが、クリント・イーストウッドが市長を勤めたカーメルのすぐ近くにあり、彼の監督・主演作品『恐怖のメロディ』の舞台となったモントレーの海から、映画『エデンの東』は始まります。


 

 


 リーはコックとして雇われながら、主人の双子の息子を育てあげ、金の管理をし、主人を救う重要な言葉を示し、“料理ができる哲学者、それとも哲学するコック”と呼ばれる人物です。なので男ばっかり出てくる話のわりには、ココナツケーキ、ピーチパイ、鶏の空揚げ、赤蕪のピクルス、牛肉のポットロースト、チョコレートケーキ、杏のタルト、苺のタルト、レモンパイ、サンドイッチ、七面鳥のロースト、プラムプディング、冬瓜のスープ、目玉焼きなど美味しそうな料理が意外といっぱい出てきます。

 しかし映画にはリーがいないので、食べ物は全然出てきません。キャル(ジェームス・ディーン)が父親(レイモンド・マッセイ)に先物取引で儲けた金をプレゼントして拒否される場面も、原作では感謝祭の日の夜が舞台で、テーブルには詰め物入りの七面鳥、プラムプディング、ジャン・ベッセルのピンク色のシャンパン、ウィユ・デュ・ペルドリが並びましたが、映画では父親の誕生日という設定で、テーブルにはシンプルなケーキが一個乗っかっているだけでした。



ブジィー村のRM。Jean Vesselle Brut Oeil de Perdrix


 それは黄色いケーキで、白いクリームと一本の白いろうそくだけで飾られています。シンプルですがちょっと可愛いです。では映画の舞台となった1917年のカリフォルニアでは、どんなケーキが食べられていたのでしょうか。

 ダナ・R・ガバッチア著『アメリカ食文化~味覚の境界線を越えて』(青土社)を読むと、リーのように中国人や日系人の男性がコックとして雇われるケースは少なくなかったようで、わかりやすい例として、1913年にサンフランシスコの出版社から中国人の使用人向けに祥桟選著『華英字厨書 CHINESE AND ENGLISH COOK BOOK』という本も出版されているそうです。実際に読んでみると、英語と中国語で書かれたアメリカ家庭料理のレシピ本でした。中国料理は一品も掲載されていません。やはり当時は雇い主が外国人の使用人の故郷の料理に興味を示すことはほとんどなかったそうで、小説『エデンの東』の中でリーが冬瓜のスープを作ったり、主人と一緒に五加皮酒を飲んだりしているのは稀なケースだったことがよくわかります。


  


 聡明なリーは英語も中国語も堪能で、ラテン語も独学する勉強家なので、『華英字厨書』のような本には無縁と思われますが、当時どんなケーキが食べられていたのかがわかるので面白かったです。例えば下のようなレイヤーケーキが紹介されていました。

cake 『華英字厨書』のクリームケーキ

【材料】
(1ts=約4.92ml)
<スポンジ>
・砂糖 2カップ
・バター 2/3カップ
・小麦粉 3カップ
・牛乳 1/4カップ
・卵 4個
・ベーキングパウダー 1ts

<クリーム>
・牛乳 1カップ
・コーンスターチ 2ts
・卵 1個
・砂糖 1/2カップ
・好みのスパイスかエキストラクト 1ts

【作り方】
浅い皿に入れて約20分間オーブンで焼く。しばらく冷まし、クリームを作る。牛乳を温め、冷たい牛乳で湿らせておいたコーンスターチをかき混ぜながら入れ、卵、砂糖、スパイスかエキストラクトを加える。スポンジを層状に切って、その間にクリームを塗る。

 コ、コーンスターチと牛乳でクリームとは……すごいですね。でも1891年にサンフランシスコで出版された『The Cookery Blue Book』のクリームケーキも同じレシピでした。みんなこんなケーキを食べてたんですかね。生クリームがモリモリ食べられるなんて現代人は贅沢ですね。

cake 『華英字厨書』の金色ケーキの作り方

子どものために丸いケーキを焼く。白いアイシングが固まったら、小さなブラシで卵の黄身を塗る。そしてケーキの上に好きな言葉や名前を書けば、子どもたちがとても喜ぶだろう。

 『華英字厨書』には白、キャラメル、金のアイシングの方法も掲載されています。アイシングで黄色いケーキを作って文字を書いて祝った、なんてのもイメージできるかもしれないですね。映画のケーキはちょっとバタークリームっぽかったので、それに便乗し、パータボンブを作って初のバタークリームに挑戦してみました。



ハリボーグミ シュネッケン100g


 もう一個、映画に出てきた食べ物は、キャルがアブラ(ジュリー・ハリス)に渡すリコリス菓子です。大人なので画面の黒い物体が何かわかりましたが、子どもだったら「ヘビでも食ってんのか?」と思っちゃいそうです。食べ物といえば、ヒロインの「アブラ・ベーコン」という名前が日本人にとっては一番インパクトあるかもしんないですね。


 

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2009.11.10

独眼竜政宗(1959年)

Harakomeshi
伊達政宗も食べたと言われる腹子飯(はらこめし)。

 『縮図』に続き、宮城県石巻市シリーズです。仙台から仙石線に乗り、終点が石巻駅です。ついでに仙台駅もぶらっとしてきました。仙台といえばやっぱり伊達政宗ですよね。そこで中村錦之助主演、河野寿一監督『独眼竜政宗』を見ました。



 渡辺謙ファンだった私はNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」も見てました。忘れられないのは第1回目の放送日の夜です。お年玉で買ったNHKのドラマガイド本を布団の中で読みふけり、ベッドの上の棚にそれを置き、今後の展開を楽しみにしながら、私は眠りにつこうとしていました。ところがちょうどウトウトしかけたころ、棚からドラマガイドが滑り落ちて私の右目を直撃。目玉はギリギリ逸れたものの、瞼に激痛が走り、アイシャドーを塗ったような内出血が。右目を失明した政宗の呪いだと新学期の教室で友人に報告したことを憶えています。政宗はそんな思い出とともにある武将です。



 映画には残念ながら、はらこめしは出てきません。その代わり粟飯が出てきます。まだ藩主になる前の政宗(中村錦之助)が、柴刈り中の爺(大河内伝次郎)の薪の山を倒してしまい、お詫びに荷運びを手伝います。爺はお礼に政宗に粟飯の弁当を食べさせ、侍のくせに粗末な粟飯を美味しいと言う政宗を気に入ります。右目を失って絶望したときにも政宗は爺の家を訪ねて粟飯を食べさせてもらい、爺と千代(佐久間良子)の素朴な人柄に触れて癒されるのでした。この粟飯のエピソードは、亘理町荒浜の漁師たちが献上したはらこめしを喜んで食べたと伝えられる政宗の人物像に通じるものがあるのではないでしょうか。

 よく見るはらこめしはご飯の上に鮭やイクラがきれいに並べられていますが、宮城県の亘理町の公式サイトを見ると、昔は具をご飯に混ぜていたそうです。秋鮭が美味しいうちに、仙台駅で食べた弁当の味を思い出しつつ、生まれて初めてはらこめしを作ってみました。

 映画を見終わった後には、「負~け~ぬ~」と政宗の物真似をしたくなりました。中村錦之助の若い頃の力強さやキレのよさは笑っちゃうくらいすごいんですね。大味な超娯楽時代劇と言ってしまえばそれまでなのですが、合戦シーンの人の多さ、馬を駆っての追走劇、どしゃぶりの中のチャンバラなど、ついつい楽しんでしまいました。そして今までは特に気付きもしませんでしたが、中村獅童ってやっぱり叔父さんの良いところを意識しながら演じているんだなあと思ったのですがどうなんでしょうか。



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