1960年代

2011.08.07

秋津温泉(1962年)

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原作に登場する梅茶。暑い夏にも意外と合う。

 五月に長門裕之が亡くなってしまいましたね。今村昌平監督『にあんちゃん』や『豚と軍艦』などに出演していた頃の長門裕之は、もう恋してしまうくらいぶっちぎりに魅力的だったので本当に悲しいです。ソン・ガンホのようなブサイクなんだけどとてつもなくセクシーな俳優を見ると、今村昌平作品やマキノ雅弘作品で輝いていた一九六〇年代頃の長門裕之を思い出します。そんな追悼気分で吉田喜重監督、岡田茉莉子・長門裕之主演『秋津温泉』を見ました。戦中戦後の混乱期に、ブレまくりつつも時代を生き抜いていく周作と、ブレないからこそドンドン壊れていく新子の物語は、震災後の混乱した現在の心境で鑑賞すると、またいままでとは違う重さで心にのしかかってきます。



 結核を患って除隊した周作(長門裕之)が、空襲で焼かれた故郷に帰ってくるところから映画は始まります。周作は、育ての親である亡き伯母との思い出の地、秋津温泉を訪れ、旅館の女将の娘・新子(岡田茉莉子)と出会います。健康的で明るい新子は、厭世的になっている周作の憂鬱を笑い飛ばし、周作はそんな新子に惹かれていきます。戦争が終わり、周作は妻子を持ち、職に就くのですが、つい秋津温泉への再訪を繰り返してしまい、新子との関係を断ち切ることができず…という物語です。



 この映画は、岡田茉莉子(一九三三年生まれ・十八歳でデビュー)が二十九歳のときに出演映画百本を記念して自らプロデュースしたものだそうです。ちなみに浅丘ルリ子(一九四〇年生まれ・十四歳でデビュー)が百本を記念して『執炎』(一九六四年)に主演したときは二十四歳、吉永小百合(一九四五年生まれ・十一歳でデビュー)が百本を記念して『つる』(一九八八年)に主演したときは四十三歳。現在では出演映画が百本に達すること自体がすごいんじゃないでしょうか。


 


 当時の岡田茉莉子は芸者役ばかりさせられてウンザリし、たまには純粋に恋に生きる女性を演じたくて、『秋津温泉』の映画化を企画したそうです。現代のOLである私からすると、芸者役も、妻子のある男性とのくされ縁を断ち切れない旅館の女将役もなんだか変わり映えしない、陳腐なメロドラマのヒロインのように思えるのですが、いざ見てみると、走る茉莉子さま、絡み合う茉莉子さま、宙を見つめる茉莉子さまと林光の音楽がグルグル繰り返される不思議な映画で驚きました。世界中のすべての女性が、美しい岡田茉莉子、赤や緑が効いているかわいい衣装(岡田茉莉子が衣装も担当)、四季だけが静かに訪れる聖域のような秋津温泉の美しさにつられて、だまされてでも見たらいいのになあと思います。



 ついでに、六月に文庫化されたばかりの吉田喜重著『小津安二郎の反映画』(岩波文庫)を読んだら、小津安二郎作品の評論本でありながら、吉田喜重作品の評論としても読めて大変面白かったです。私が大学生の頃、アルバイトをしていた本屋で吉田喜重監督を定期的に見かけたのですが、常にコム・デ・ギャルソンっぽい黒尽くめの服に身を包み、そのとき話題の哲学書をゴソッと買って帰る姿がとってもかっこよかったです。あの頃の私に戻って、この文庫本にサインをもらいたいです。



 映画の中で新子が口にするのは酒とタバコだけです。それが何十年にも渡る新子と周作のしつこい繰り返しにズレを生じさせるアイテムのひとつになっているので注目していると面白いです。ついでに原作はどうかというと、原作もあまり食べ物が出てこず、梅茶と苺くらいしか見当たりませんでした。しかしどちらも印象的です。苺は、新子の見合い相手の好色そうな父親の、いかにも赤らんでそうな鼻にイメージが重なり、苺のブツブツの種が不潔に脂ぎった毛穴のように思われてイヤな感じです。梅茶は、思い出にまみれた秋津温泉で周作が新子と出会って新鮮な衝撃を受ける場面に登場するので、いやでも記憶に残ります。


 


 苺が印象的な映画や小説は『テス』とか『プリティ・ウーマン』とか『ベニスに死す』とか他にもいろいろあると思いますが(と言いつついっぱいは思い出せない)、梅茶が印象的な作品は珍しいので、わが家でも梅茶を飲みました。いろいろ迷ったあげく、選んだのは『暖簾』の小倉屋山本の梅こんぶ茶です。梅茶を買おうと思ったおかげで知ったのは、いま「とうがらし梅こんぶ茶」がとても流行っているらしいということ! いつか飲んでみたいです。


 


 


  

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2011.06.12

マイ・フェア・レディ(1964年)

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今年は東日本の苺が本当に不憫だった。

 苺の季節も終わってしまいましたね。今年は東日本の苺が本当に不憫で不憫でたまりませんでした。栃木や福島産の立派な苺が二百円で売られ、それでも店頭にいっぱい余っている様子は一生忘れないでおこうと思います。野菜も然りです。もはや、野菜が美味しい夏が近付いてきたせいで価格が下がっているのか、別の理由で投売り状態になっているのかわからなくなってます。この苺タルトは、東日本大震災前、福島産の苺が店頭に並び始めた頃に、パイ皮とカスタードクリームを作って仕上げました。さて苺タルトが出てくる映画というと、ジョージ・キューカー監督『マイ・フェア・レディ』しか思い出せませんでした。今度、クリント・イーストウッドがジョージ・キューカーの『スタア誕生』をリメイクするみたいですね。エスター役はビヨンセだとか。楽しみです。



 『マイ・フェア・レディ』を初めて見たのは、どこかの映画館のリバイバル上映だったように記憶しています。誰もが見ている定番映画ですが、私にとっては長年、ラストシーンがよくわからない映画の一本にカウントされていました。「僕の上履きはどこだ?」という最後のセリフでなんでイライザが優しく微笑んでハッピーエンドになるのか、まったく理解できなかったのです。実際は、ヒギンズ教授を演じるレックス・ハリスンは目を完全に隠すように帽子を目深に被り、椅子の上で寝た振りをして、「Where the devil are my slippers?」と言います。「the devil」っていうのは特に意味があるわけでなく、疑問詞を強めるために使う古い言い方なのだそうです。ヒギンズ教授はやたらと「the devil」という言葉を使います。その口癖を何度も聞いているうちに、「the devil」とはアメリカ映画における「fuck」みたいなノリの言葉? と感じたりしましたが本当のところはどうなのでしょうか。


 


 コヴェント・ガーデンの花売り娘だったイライザ(オードリー・ヘプバーン)はヒギンズ教授によって言葉遣いや立ち居振る舞いを教育され、上流階級の人間の振りをしてまんまと社交界デビューを果たします。その夜、イライザの成功が自分だけの手柄であるかのようにはしゃぐヒギンズ教授を見て、イライザは自分の努力を虚しく感じますが、ヒギンズはまったく気付きません。祝賀会も解散となり、ひとり応接間に取り残されたイライザが哀しみにくれていると、ヒギンズが上履きを探して階下へ降りてきます。優しい言葉のひとつもかけないヒギンズにとうとう感情を爆発させたイライザは彼に上履きを投げ付け、ありったけの言葉で罵倒します。

You wouldn't care if I was dead.
I'm nothing to you.
Not as much as them slippers.

私が死んでもあなたにとっては
上履きと同じくらいどうでもいいことなのよ!

 ヒギンズにとってはどうでもいい物、とイライザが決め付けた上履きのことをエンディングで探し求める発言をするということは、「上履きも君のこともどうでもいいわけではないんだよ」っていう意思表示? とも考えたのですが、いや、上履きと一緒にされたんじゃ全然納得できません。
 では、ラストシーンで「Where the devil are my slippers?」とヒギンズが言う前に、イライザがなんと言っているかと言うと、わざと元の訛りのまま以下のように言います。

I washed my face and 'ands
before I come, I did.

顔も手も洗ってきたよ

 ここでヒギンズは映画の中で初めてイライザの言葉遣いを正さず、「Where the devil are my slippers?」と返します。ということは単なる賭けや研究の道具ではなく、「コヴェント・ガーデン育ちの花売り娘だったイライザそのものを受け入れるよ」っていう意思表示ということでしょうか? 先述した「上履きも君も必要だよ」案よりは受け入れやすい気もしますが、何故そこでヒギンズが寝た振りをするのかが私には説明できません。それに直前の言い争いでイライザがヒギンズに投げ付けた言葉「あなたの上履きを拾うために戻ってほしいんでしょ?」に込められた怒りはどこへ行ってしまったのでしょうか。


 


 納得できないまま同じ原作を一九三八年に映画化した『ピグマリオン』(アンソニー・アスクィスとレスリー・ハワードが監督)を見てみたら、ラストシーンのセリフが一九六四年版とまったく一緒でありながら演出が微妙に違っていて、シナリオに込められた本来のニュアンスを即座に理解できました。一九六四年版の結末のわかりにくさは、「Where the devil are my slippers?」のセリフの後に、オードリー・ヘプバーンのウルウルした顔を映したことによって生じていることがよくわかります。人気のヒロインの愛に輝く美しい顔をクライマックスに入れておきたいという狙いだったのでしょうが、そのせいで私にはこの結末の意味がずーっとわかりませんでした。なんてことでしょうか! 気の強い女とヘソ曲がりな男が惹かれ合っているのに最後まで意地を張ったまま、という演出でないと、このエンディングはチンプンカンプンなはずです。


 


 苺タルトは一九六四年版のヒギンズとイライザの発音のレッスンシーンに出てきます。ヒギンズの家に溢れている菓子につられてレッスンに打ち込むイライザは、苺タルトにも物欲しそうな視線を送ります。しかしここでもヒギンズはイライザの視線にまったく気付かず、籠の中の小鳥にその苺タルトをやってしまいます。映画の中にそのように登場する苺タルトは面白くて美味しそうなのですが、実は、ジョージ・キューカー作品を特徴づける菓子は、苺タルトとはまた別に存在するのです。長くなってしまったので、それはまた別の機会に紹介します。ちなみにもうひとつ、エンディングの意味がよくわからない映画として私の記憶の中にカウントされているのは、ノーラ・エフロン監督『ユー・ガット・メール』です。



 


 

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2010.05.14

大学の若大将(1961年)

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飛騨牛と釜定の鍋で、一人すき焼き。

 普段は鬼のようにいろんな圧力をかけてくる富山の母が飛騨牛を送ってくれました。わーい。牛肉なんて自分では年に一、二回くらいしか買いません。国産牛は高いし、外国産牛ならば国産豚のほうが断然おいしいなあと思うからです。届いた飛騨牛はさっそくすき焼きで食べました。


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わが家にやってきた飛騨牛さま。


 邦画に登場する食べ物ランキングを作ったなら一位は「すき焼き」なんじゃないかなあとよく思います。過去の自分の日記を振り返っても『浪華悲歌』『めし』夫婦善哉』などにすき焼きが出てきました。そのほか小津安二郎映画のすき焼きはじめいろいろあるなか、邦画を代表する「すき焼き」といえば、やっぱり若大将こと田沼雄一の実家、明治十年に創業した麻布・田能久のすき焼きではないでしょうか。

 といっても私にとっての若大将シリーズは、日曜日の午後二時からとか、たるみきった時間帯にテレビで放送されていた映画です。わが家では誰も見てませんでした。まともに見たのはこの『大学の若大将』が初めてです。監督は杉江敏男。主演は加山雄三です。


 


 オープニングからプールに群れる青年たちの姿がまぶしいです。若大将は京南大学水泳部で決してシンクロ部ではないのに『ウォーターボーイズ』みたい。そのように健康な体で運動に励む食欲旺盛な大学生たちが主役なので、食事シーンがどれも魅力的でした。まずは、水泳部の合宿所で部員たちがにんじん、長ねぎをじゃんじゃん切って、大根おろしをどんどん作って、田能久の秘蔵の霜降り肉を、拾ってきた鉄板の上で焼いて食べるというシーンがあります。実はその鉄板は便所の浄化槽のフタだったというオチがつくのですが、たとえ便所の臭いがついていたとしても、山盛りご飯の上に乗せて食べる焼肉は美味しそうでした。


  


 元気な青年たちと食べ物の組み合わせは、クライマックスの水泳大会の控え室でも印象的でした。マッサージを受けるためにうつ伏せになっている青年たちのそばに食べかけのグレープフルーツがゴロゴロ転がっているのです。そんな光景はほかの映画では見たことなかったので、最初は自分の目を疑ってしまいました。



アメリカ・フロリダ産 グレープフルーツ(白肉)ばら売り1個 (350g)味で選ばれるフロリダ育ちです♪


 若大将が芦ノ湖の別荘で作る、ベーコンエッグ、サラダ(ホワイトアスパラ、セロリ、レタス、トマト)、食パン、ロールパン、ソーセージ、オレンジジュースの昼飯も美味しそうでした。若大将が楽しそうに料理して、勢いよくソーセージ三本をいっきにフォークでぶっ刺して食べる姿もいいです。

 そして牛肉と並ぶ、この映画のもう一人の食の主役が、明治製菓です。澄ちゃんが働くカフェも、青大将(田中邦衛)の父が重役を務める会社も明治製菓なのです。この映画のなかで2回も登場するオレンジジュースも、明治製菓の公式サイトによると一九五四年に日本で初めて発売された缶入りジュースなのだそうです。そして若大将の祖母(飯田蝶子)と妹(中真千子)が水泳部の合宿所に持ってくる、レトロなケーキがぎっしり詰まった箱も、「明治の菓子」と書かれた紙で包まれていました。明治製菓のカフェというと数年前に京橋にオープンした100%チョコレートカフェしか知りませんでしたが、大正十三年(一九二四年)にオープンした明治製菓銀座売店というのがいろんな映画に出てくる伝説の店だったようです。調べてみるといろいろ面白いので、また別の機会に。


 


 問題のすき焼きは「田能久」という店名から考えると浅草の米久がモデルなのかな? と思うのですが、『海の若大将』などでは浅草の今半で撮影が行われています。どちらにしろ割り下で作る関東風なのは間違いないでしょう。そこで、またまた雑誌「栄養と料理」のデジタルアーカイブスで面白い記事を見つけました。昭和五十三年(一九七八年)の号に、人形町のすき焼き割烹・日山のレシピが載っているのです。日山は大正から牛肉の小売を始め、すき焼き割烹として昭和二年に創業したのだそうです。昔は松阪牛しか扱わず、そのせいか松阪で育った小津安二郎の日記にも何度か登場していますが、今は販売している牛肉は松阪産に限定してないみたいです。割り下はしょう油1/2カップ、みりん1/2カップ、砂糖22~33gくらいの比率で、煮詰まったときに足す薄割りは、日山では牛の骨をたたいてとっただしを使っているのだそうです。家庭ではこんぶだしや、化学調味料を水で溶いたもので代用しろとのことでした。



〈東京〉浅草今半・黒毛和牛すきやき用詰合せ(AS-100)


 それにしても黒澤明、成瀬巳喜男、川島雄三、岡本喜八などの名作とされる映画に出ているのに、名優の道を歩んでいない加山雄三って不思議な人。でも若いときの加山雄三のバカ明るさにはちょっと惹かれます。この映画でも、澄ちゃん(星由里子)に「ぼくはね ホントのこと言うとね 女の子にあんまり関心がないんだ」と言い出したから、(えっ! そんなこと言っていいの?)なんつってニヤニヤして見てたら、「でも年寄りに親切な人は別だ つまり…澄ちゃんは好きだ」と告げてスタスタ去るので、澄ちゃんと一緒に私も呆然。あまりの爽やかさに意表を突かれてボタボタボタッとちょっと落涙しちゃいました。そしてふと、加山雄三のこの若さ明るさ爽やかさをとことん痛めつけていた映画、『乱れる』とか『乱れ雲』を思い出してゾクゾクしちゃいました。


 


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2005年に『乱れる』の舞台、銀山温泉まで行っちゃった!


 



【釜定・宮伸穂デザイン】南部鉄器の組なべ大(組鍋・すき焼き鍋・鉄のフライパン)【楽ギフ_メ...



【釜定】オイルパン

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2010.04.22

キューポラのある街(1962年)

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春のロールケーキまつり。
 
 何かを予約録画したら間違えて『キューポラのある街』が録画されていました。すぐに消そうと思いつつ、ついつい何度めかの鑑賞に突入。結局、最後まで見ちゃいました。

 こういう映画を見ていて思うのは、『Always 三丁目の夕日』のヒットってなんだったの? ってことです。後世に残るとしたら、二〇〇五年当時の白組のCGのレベルと、六ちゃんこと堀北真希ちゃん16歳の姿を確認するためだけの映画として? あの頃は今ほど不況が厳しくなく、貧乏な昭和三十年代に「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう。」なんてキャッチコピーをつけて懐かしむ余裕があったということなのでしょうか。その点、『キューポラのある街』はたった99分の映画なのにいろんなものが映っていて、少女にも子供にも大人にもその友達にもドラマがあって、何度見ても飽きないです。監督は浦山桐郎、脚本は今村昌平と浦山桐郎、主演は吉永小百合です。


 


 私は一時期、仕事の用事で一ヶ月に一度、川口と西川口へ行っていました。当時は営業部に配属され、東京・大阪・京都・名古屋の繁華街の小売店に顔を出すのも仕事でした。主に男性向けの商品(怪しい仕事じゃないですよ!)を扱う会社だったので、男性向けの遊び場がある街、秋葉原や新宿や六本木や五反田や池袋や川崎や伊勢崎町などの店には特に力を入れていて、仕事に乗じて秋葉原の雑居ビルや歌舞伎町のド真ん中の店などにズンズン入っていけるのは、ちょっと面白かったです(ますます怪しい?)。そういうわけで風俗街・競艇場・オートレース場がある川口、西川口の店も営業の対象だったのでした。鋳物の街の面影はまったくなかったですが「キューポラのある街だ!」と興奮したことをよく憶えています。それもずいぶん前のことです。今の川口はどうなっているのでしょうか。


 


 映画の冒頭、東京の北部を俯瞰するカメラが荒川を越えてさらに北上し、川口の鋳物工場の作業風景に切り替わります。その工場で働く昔気質の職人の辰さん(東野英治郎)の娘が、主人公のジュン(吉永小百合)です。工場は経営難で売却が決定し、人員整理のために、作業中にケガを負った辰さんは解雇を言い渡されます。ちょうどその頃、母(杉山とく子)は四人目の子供の出産中でした。高校へ進学したいジュンは、クラスメートで在日朝鮮人のヨシエちゃん(鈴木光子)と一緒にこっそりパチンコ屋でバイトをして学費を稼ぎ、受験勉強に張り切っていたのですが、次々と家族に問題が起きてそれもままならないという話です。

 この映画に登場する、気になる食べ物はロールケーキです。最近大流行の堂島ロールだの自由が丘ロールだのはらロールだのたまごロールだのは、新鮮でフワフワでバリエーション豊かで、美味しさと華やかさと賞味期限が昔と違う“平成スウィーツ”ですが、ジュンが食べるロールケーキはもちろん“昭和の味”です。

 平屋で障子もボロボロ、ラジオが唯一の娯楽のジュンの家では、夕食のおかずはアジの干物と味噌汁と漬物らしきもののみで、白飯だけが山盛り。おやつは中華そばです。数学を教えてもらうためにジュンを呼んだ金持ちのノブコちゃん(日吉順子)の家は二階建てで、父親は自動車に乗り、兄はステレオのコンポを持っています。そして勉強の合間に二人で食べるおやつがロールケーキでした。ロールケーキを食べた後、階下のスピーカーから流れる音楽を聴きながら、キューポラが黒いシルエットになってそびえる川口の夕暮れの風景をいつもと違う二階の窓辺から見て、ジュンがさびしそうな顔をするシーンは切ないです。

 ノブコちゃんのロールケーキは、生クリームはおろかバタークリームすらも使われてなさそうで、ジャムのようなものが巻かれ、渦巻きが二つありました。当時はどんなロールケーキが食べられていたのでしょうか。電動泡立て器など家庭にない昔は、とにかくメレンゲの角だけはしっかり立てる別立て法のスポンジが主流だったのかなあなどと予想されますが、例えば、デジタルアーカイヴを無償公開している料理雑誌『栄養と料理』(女子栄養大学出版部)のバックナンバーを見ていると、そういうわけでもないみたいです。ロールケーキについては、昭和31年(一九五六年)の記事では卵3個と小麦粉(70g)と砂糖(90g)だけの油なしの別立て生地に苺ジャムを塗って巻くだけのレシピが紹介されています。それが昭和46年(一九七〇年)になると、生地にバターが加わり、バタークリームや生クリームを巻くレシピが紹介されていました。私もまずは昭和31年(一九五六年)のレシピで生地を作ってみました。卵と粉と砂糖だけで別立てする昔気質な生地も、しっかり泡立てれば十分にフワフワで美味しいです。あれだけシンプルな材料で、こんなに? とかえって感動します。


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昭和31年のレシピ。卵と小麦粉と砂糖のみの別立て生地。


 とはいえ、私も平成を生きるOL。フワフワしっとりも欲します。生クリームを巻いて、さらにフルーツなんぞを入れたりすると、最近主流と思われるフワフワしっとりスポンジ、バターやサラダ油が入っている共立てタイプが合うのかなあと思ったりします。

cake 共立て、バター入りのロールケーキのスポンジ

【スポンジの材料】
※30cm×30cmの天板用
・卵 3個
・薄力粉 50g
・グラニュー糖 60g
・バター 30g(もしくはサラダ油 大さじ2)
・ベーキングパウダー 小さじ1/2

【作り方】
・バターを1cm角に切ってボールに入れておく
・卵と砂糖を混ぜて、約60℃~80℃の湯せんにかけてさらに混ぜ、35℃か36℃になったら湯せんから外す
・残った湯にバターのボールを浸して溶かしておく
・泡立て器でしっかり混ぜ、持ち上げてもしばらく落ちてこないくらい白くもったりとさせる
・溶かしておいたバターを混ぜる
・ふるいにかけた薄力粉を2回に分けて加え、粉っぽさがなくなるまで均等にしっかり混ぜる
・オーブンを190℃に余熱しておく
・天板にオーブンシートを敷いて生地を注ぎ、平らにならす
・190℃のオーブンで約13分焼く


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共立て、油入りのフワフワ生地のロールケーキ。


 そして世の中には、サラダ油と水を加えた共立て法でスポンジを作っている人も多いようです。こちらはさらにフワフワでしっとりします。この方法はなんなのかと思ったら、シフォンケーキっぽいレシピなんですね。実はシフォンケーキにもまたいろいろドラマがあるようで面白いのです。シフォンケーキが出てくる映画ないかなあ?

cake 共立て、サラダ油&水入りのロールケーキのスポンジ

【スポンジの材料】
※30cm×30cmの天板用
・卵 3個
・グラニュー糖 70g
・サラダ油 大さじ3
・水 65g
・薄力粉 90g
・ベーキングパウダー 小さじ1/2

【作り方】
・卵黄と砂糖50gを泡だて器で混ぜ、白くもったりしたら、サラダ油を加える
・水を加えて混ぜる
・薄力粉とベーキングパウダーをふるいにかけて加え、粉っぽさがなくなるまで泡立て器でよく混ぜる
・卵白と砂糖20gを、しっかり角が立つまで泡立て器で混ぜて、メレンゲを作る
・おたま2杯分くらいのメレンゲを、先ほどのボールに加えて均等に混ざったら、残りのメレンゲもすべて加えて混ぜる
・オーブンシートを敷いた天板に生地を注いで平らにならす
・190℃の余熱したオーブンで約13分焼く


Roll12
共立て、サラダ油&水入りのしっとりロールケーキ。



「ヤマザキ スイスロールコーヒー4枚入り」


 


 

 


 


 

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2010.04.07

幌馬車は行く(1960年)

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幼馴染からもらった富山の大場養蜂園のハチミツでウイスキー・トディ。

 寅さんが行かなかった県は、たった2つなんだそうです。そのうちの1つが私の故郷、富山県。寅さんにはウィーンに行く前に富山に来てほしかったです。最近は『サマーウォーズ』などで富山出身の細田守監督が活躍していたり、木村大作監督『劔岳 点の記』が公開されたりして富山が盛り上がっているのでいいのですが。

 というわけで少し前までは、野村芳太郎監督『疑惑』のロケ地になったかと思えばドロドロの保険金殺人話で印象悪いし、篠田正浩監督『少年時代』も陰湿ないじめ話でまた印象悪いし、今村昌平がやってきて『赤い橋の下のぬるい水』を撮ってくれたかと思ったら立山連峰を背景にファック&オナニーだし、富山が舞台の小説『納棺夫日記』が『おくりびと』になってヒットしたと思ったらロケ地は山形だし、富山は恵まれてない? と思ってました。でも、ほじくり出すと富山で撮られた映画は他にもいっぱいあるんですよね。野口博志監督、赤木圭一郎主演『幌馬車は行く』も、ロケ地が富山ということで、中古VHSを探し求めて見た映画です。


 


 


 映画はギャングたちが蒸気機関車を襲うところから始まります。列車強盗殺人事件が大きく報じられたころ、日本中を移動して高原の花畑を巡り、ハチミツを集める山善養蜂隊の隊長(芦田伸介)と孫の十美(笹森礼子)が、銃傷を負う野上(赤木圭一郎)を助けます。実は野上は、鬼島(水島道太郎)、柄政(郷鍈治)、あけみ(楠侑子)ら列車強盗団の仲間でしたが、養蜂隊の人々の素朴さや雄大な自然に触れ合ううちに、優しい気持ちを取り戻します。ところが、旅を続ける養蜂隊に潜り込んで逃亡しようとギャングたちがやってきて……という話です。


Horobasya01
幌馬車は行く [VHS]


 幌馬車の養蜂隊が旅する高原は、立山の弥陀ヶ原なんだそうです。昭和35年(1960年)の撮影当時は、立山の大掛かりな観光開発が行われる前で、立山黒部アルペンルートのケーブルカーやトロリーバスも黒部ダムもない時代です。モニュメント・バレーや城や大河や砂漠のような広大な風景があまり登場しない日本映画の中では、この弥陀ヶ原でのアクションシーンは珍しくスケールの大きな映像と言えるのではないでしょうか。メサやビュートのような奇岩はないですが、霧に煙る峰々や「餓鬼田」と呼ばれる水たまり、石だらけ不思議な植物だらけの弥陀ヶ原は十分に別世界、奇景です。


 


 その他、越中八尾駅、おわら風の盆、氷見港、西町の子供服のポッポや松屋など、富山県民にはおなじみの場所が映ります。そして赤木圭一郎と笹森礼子が買物へ行くときに通りかかる庄川峡と大牧温泉と庄川町の三楽園には思わず「あっ」と声が! 私は物心ついてから小学校2年生までこの庄川町に住んでいたからです。小学校の通学路に横断歩道も信号もなく、雪ダルマを転がしながら家まで帰って来ることができるくらい自動車とすれ違うこともほとんどなく、家の裏の小川で弟のオムツを洗い、流れるウンコを追いかけて走ったノンビリした町で、川と山と花と雪と田んぼにまみれてハイジのように暮らしていました。三楽園の林や池は毎日の遊び場で、夏の夜にカブトムシやクワガタを取りに行くのが一大イベントだった思い出の場所です。


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2006年に小牧で撮った庄川峡遊覧船。

 気になる食べ物はというと、しょっちゅう出てくるのが富美菊という富山の酒です。私にはなじみのある酒ではありませんでしたが、今度飲んでみたいと思います。



【袋吊り斗瓶囲い】 720ml大吟醸 富美菊


 そして、和製リー・マーヴィンみたいな顔の郷鍈治が「わりとオツな味になりますぜ」とハチミツを注ぎ、和製ロバート・ライアンみたいな顔の水島道太郎が「悪かねえな」と飲んでいるのはウイスキーのハチミツ割り? つまりWhisky Toddyみたいなもの? 私は富山の大場養蜂園のハチミツで、ウイスキー+湯+ハチミツのウイスキー・トディを作ってみました。幼馴染にプレゼントしてもらって以来、富山ならではの水島柿ハチミツ、個性的なそばの花ハチミツがお気に入りです。

 映画の全編を通して笑っちゃったのが、地元企業の看板をいちいち、明らかに宣伝用にしっかり映してあげているところです。不二越鋼材工業とかアルプス牛乳とか立山アルミとか富美菊とか三楽園とかポッポとか松屋とかエスタロンとか。広告料が発生してたりして……? 作品としては不自然なんですが、最近はここまであからさまなやり方は見ないので、ギスギスした金もうけ主義よりも、反対にのどかだった時代の空気を感じます。


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富山の地はちみつです♪富山の純粋はちみつ【アカシア】500g

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2010.01.30

鯨神(1962年)

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宮城県石巻市からやってきたクジラ様。

 2009年の年末も、わが家に宮城県石巻市からクジラ様がやってきました。クジラが出てくる日本映画、いろいろ見てみたいです。高倉健や佐野周二が出演する『鯨と斗う男』(1957年)とか、三船敏郎主演『港へ来た男』(1952年)とか、ぜひDVD化してほしいなあ。今回は、特撮ファンの熱意のおかげか勝新ファンの熱意のおかげか、VHSにもDVDにもなっている田中徳三監督『鯨神』を見ました。脚本は新藤兼人、音楽は伊福部昭。特撮担当のひとりが的場徹です。原作は宇能鴻一郎の芥川賞受賞作で、受賞した年に映画化されてます。『めし』のときにもそう思いましたが、昔の映画化はすばやいですね!


 


 映画の舞台は捕鯨で暮らす長崎県平戸島和田浦のキリシタンの村です。村民たちは毎年、「鯨神」と呼ばれる巨大なセミクジラの被害に苦しんでいました。島の鯨名主(志村喬)は、鯨神をしとめた者に娘のトヨ(江波杏子)も財産も名跡もすべて譲ると宣言します。名乗りをあげたのは、祖父と父と兄を鯨神に殺されたシャキ(本郷功次郎)と、人殺しの過去を持つと噂されるよそ者の紀州(勝新太郎)でした。シャキが鯨神に夢中になっている間、シャキと恋仲のエイ(藤村志保)は紀州に犯されて妊娠します。エイは誰にも知られずに出産しようとするのですが、偶然立ち会ったシャキはその子を自分の子だと言います。シャキとエイが結婚式を挙げた頃、再び鯨神がやってくる季節になり……という物語です。


Kujiragami
鯨神 (中公文庫 A 147)


 『白鯨』のエイハブ船長、『魚影の群れ』の房次郎、『ジョーズ』のクイント船長のように、強く巨大な魚に取り憑かれてしまった男の物語に加えて、キリシタンの島という背景が面白いです。平戸島和田浦という物語の村は架空の地ですが、捕鯨と隠れキリシタンの島として有名な生月島(平戸島のすぐ隣にある)がモデルになっているのではないかと言われているそうです。2001年に出版された宮崎賢太郎著『カクレキリシタン オラショ-魂の通奏低音』(長崎新聞新書)の調査でも、生月島にはまだ隠れキリシタン時代に作られた組織や行事が受け継がれていて、外部者にも比較的オープンに信仰の方法を見せてくれる雰囲気があるのだそうです。この『鯨神』も禁制が解かれた明治時代の話なので「隠れ」ではないのですが、シャキは神棚のような場所に飾られた聖母子像の掛絵に祈ってます。


 


 物語だけでなく映像も力強さに満ちていました。当時の特撮技術の限界を感じつつも、巨大な鯨神との戦いのシーンには伝わってくる何かがありました。そして銛を突き刺された傷口から溢れ出す鯨神の体液を浴びながら、振り落とされまいと巨大な背中にへばりつくシャキや紀州の姿を見ていてふと思い出したのは、王蟲とナウシカです。男が巨大で強すぎる生き物に取り憑かれたら、エイハブ船長や房次郎やクイント船長やシャキのように、その執着を戦うことで表現するけど、それが女だったらナウシカやもののけ姫みたいなイメージになるのかなあ。


 


 島の生活の映像も魅力的でした。鯨から油を取ったり、肉を解体する作業場のシーンも活気に満ちてます。崔洋一監督『カムイ外伝』の漁民の生活もこれくらい魅力的だったらよかったのに。でも映ってる村民の人数からして違ってました。『鯨神』のような島を撮るのは今ではきっと難しいのでしょうね。『カムイ外伝』公式サイトで募っていたエキストラに私も応募して協力してあげればよかったかなあ、なんて思っちゃいました。



 さらにクジラ以上に印象的だったのは、当時31歳、真っ黒でギラギラの勝新太郎です。乱暴者の嫌われ者なんだけど、根っからの悪人ではなさそうな捻くれた男を演じて魅力的でした。こういう姿を見ると、晩年ももっといい映画に出て、おもしろ伝説より作品を残してほしかったなあとちょっと思ってしまいます。




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2009.11.12

青葉城の鬼(1962年)

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綱村が招いた玉澤伝蔵が創業した九重本舗・玉澤の晒よし飴。

 『縮図』『独眼竜政宗』に続き、宮城県シリーズです。伊達政宗より何より、仙台関係で最も多く映画化されているのは何と言っても「伊達騒動もの」ではないでしょうか。『伊達騒動 風雲六十二万石』『腰抜け伊達騒動』『伊達騒動 母御殿』『伊達大評定』『先代萩』『伊達競艶録』など数えきれないほど映画があるようです。とはいえビデオやDVDになっていないものも多いです。

 私は『危し!伊達六十二万石』(山田達雄監督、嵐寛寿郎主演)、『赤西蠣太』(伊丹万作監督・脚本、片岡千恵蔵主演)と、この『青葉城の鬼』(三隅研次監督、長谷川一夫主演)を見ました。


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青葉城の鬼 [VHS]


 この映画は歌舞伎「伽羅先代萩」以来、悪役とされている原田甲斐を、伊達家を守るために身を犠牲にした忠臣として描いた、山本周五郎著『樅の木は残った』を原作としています。


 


 私が仙台駅で買ったのは九重本舗・玉澤の「晒よし飴」です。公式サイトによると、玉澤の初代は伊達家第四代藩主の綱村公に招かれて、近江から仙台へやってきたそうです。この伊達綱村こそ、伊達騒動の主要人物のひとり、当時2歳だった亀千代くんです。晒よし飴は10月から4月までの期間限定商品で、通販分の出荷が遅れているくらい人気の商品なのだそうです。もうひとつの人気商品「霜ばしら」は仙台駅でも売り切れでした。晒よし飴はサクッとウエハースくらいの固さで、断面を見ると白糸の房のようになっています。


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晒よし飴は粉にまみれて缶の中に入ってます。


 会話劇が多い映画なのですが、大胆なデザインの襖絵、風になびく簾などで動きが工夫され、場面が変わるときはスケールの大きな遠景が挟み込まれて、映像がかっこいいです。クライマックスはもちろん大迫力の雲竜の墨絵の衝立の前で繰り広げられていました。そして、みや(藤原礼子)、山娘たち、宇乃(映画初出演の高田美和)など、女性たちがみなさんほんのりエロいです。肝心の長谷川一夫はムッチリした白塗りで、仙台の大自然の中を馬で駆け回る姿にギョッとしたりもするのですが、この翌年(1963年)には映画界を引退してテレビ、舞台の世界へ行くことになるのだそうです。

 映画は、原田甲斐は忠臣、悪人は酒井忠清という結論になっています。本当のところはどうだったのでしょうか? それについては山本博文先生の本にいくつか興味深いことが書かれています。

 『徳川将軍と天皇』(中公文庫)では、酒井忠清が自分の権力のために家綱の意に背いて、第五代将軍に綱吉ではなく有栖川宮幸仁親王を擁立しようとしたという説を検証しています。伊達騒動には触れられていないものの、酒井忠清が「下馬将軍」と呼ばれるほどいばっていて、自分に有利な将軍候補を立てようとしたという噂が残っているところが、「伊達騒動の黒幕」という解釈にもつながると思われるので興味深いです。

 山本先生は『徳川実紀』『御当代記』『武野燭談』『三王外記』『常憲院贈大相国公実紀』『人見私記』、堀田正俊家に残る家綱の書付、松平直基の「大和守日記」などの史料に依って、過去の研究を検証し、酒井忠清は御家のためには生命の危機も省みず意見した武士らしい老中だったんではないかという人間像に至ります。そして、その結論に至る過程で、史料が限られているときに歴史家はどう史実に迫るべきかということまでも述べられていたりして、ちょっと感動します。



 また『江戸人のこころ』(角川選書)では、伊達綱宗が通い詰めて伊達騒動の発端となった遊女・高尾のものとされる手紙について検証されています。手紙は達磨屋五一、二世活東子共編『燕石十種』に収録されているものだそうです。山本先生によると、綱宗の逼塞と伊達騒動がそもそも時期が隔たりすぎているので無関係で、綱宗と高尾の交遊もいまのところは根拠がないのだそうです。さらに綱宗への手紙が流出すること自体がありえないので、まず高尾の手によるものでない可能性が高いと結論しています。しかしニセ物でも、「この高尾の手紙は名文で、なんど読んでも飽きることがない」と書いているところが素敵じゃないですか。



 そして『学校では習わない江戸時代』(新潮文庫)では、短い文章ですが、ズバリ「『歌舞伎』にもなった伊達騒動の謎」というタイトルで書いておられます。



 実は私は山本博文先生のゼミの生徒でした。しかし先生の本を楽しく読むようになったのは卒業してからでした。もっと在学中に熱心に学んでおけばよかったです。



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2009.10.13

昼顔(1967年)

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ジンジャの瓶の底に沈んでいたサクランボ。

 友人が短期のイギリス留学から帰ってきました。ついでにポルトガルも旅してきたそうで、サクランボのお酒、ジンジャ(Ginja)をもらいました。暗赤色が美しく、とてもいい香りの甘い酒でした。瓶の底にたまった小ぶりのサクランボも美味しく、何かに似ているなあと思い出したのが、『昼顔』に出てくるサクランボのブランデー漬けです。ポルトガルのお酒とフランス映画。関係なくてすいません。監督はスペイン生まれのルイス・ブニュエルです。


 


 若くてハンサムな医者、ピエール(ジャン・ソレル)の若妻、セヴリーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が、夫に内緒でマダム・アナイス(ジュヌヴィエーヴ・パージュ)の娼館を初めて訪れたときに、ふるまわれるのが「サクランボのブランデー漬け」です。

 ケッセルの原作ではマダム・アナイスが「どんなリキュールでもある」と言う戸棚からセヴリーヌに適当に酒瓶を選ばせて飲むだけで、酒の種類は明記されていません。しかし映画ではサクランボがブランデーに漬けてある大瓶から、酒が注がれるリキュールグラスまで、印象的に映してます。このリキュールグラスがまた華奢で美しく、内容とはまったく関係ないのですが、ちょっと素敵と思ってしまいます。

セヴリーヌは、よくも見ずに、その中の一本を指さした、彼女は味もわからずにその酒を飲み干した。その間に、マダム・アナイスは、ゆっくりとアニゼットを嗅ぐようにして飲んだ。飲み終ると、彼女が言いつづけた、
--さしあたり、あんたは昼顔という名にしときますよ。(『昼顔』 ケッセル著 堀口大学訳)

 アニゼットとはアニス、オレンジピールなどで風味をつけたリキュールだそうです。


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昼顔 (新潮文庫)


 ブニュエルが自分の人生と作品について語った『映画、わが自由の幻想』(早川書房)によると、冒頭のシーンは本当はリヨン駅前のレストランで撮りたかったそうです。しかし店の主人がどうしても承知してくれなかったのだそうです。ブニュエルが「世界で最も美しい場所のうちに入る」と言っているその老舗レストランとは、ル・トランブルーではないでしょうか? ル・トランブルーは1990年製作の『ニキータ』(リュック・ベッソン監督)には登場してます。あんなゴージャスな内装のレストランで撮られていたら、確かに『昼顔』の登場人物たちのブルジョワぶりがさらに強調されてたかもしんないですね。


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Bunuel
映画,わが自由の幻想


Ginja02
友人のポルトガル土産。ジンジャ。

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2009.05.28

青べか物語(1962年)

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浦安名物。焼蛤と焼あさり。甘辛。塩っぱいです。

 千葉県の浦安を訪れました。町をブラブラ歩いていると、いろんなところで山本周五郎の小説『青べか物語』の舞台が浦安であると宣伝しているので、スカパーの「監督 川島雄三の世界」特集で録画しておいた映画『青べか物語』を見て、ついでに原作も読んでみました。ちなみに川島雄三はこの映画を撮った翌年の1963年に亡くなるのですが、1962年には『雁の寺』(1月公開)『青べか物語』(6月公開)『箱根山』(9月公開)『しとやかな獣』(12月公開)の4つの監督作品が公開されています。なんという時代なのでしょうか……。

 映画の時代設定は、主人公の手帳から「1962年(昭和三十七年)」であることがわかりますが、映画の中の浦粕(浦安)は、北は田畑、東は海、西は江戸川、南は「沖の十万坪(原作では百万坪)」と呼ばれる広大な荒地。かなり「どんだけ田舎なの?」と驚く風景でした。

 新潮文庫『青べか物語』の平野謙による解説を読むと、山本周五郎が浦安に住んでいたのは大正十五年から昭和四年までなのだそうです。映画の中の陸の孤島「浦粕」は、1960年代よりももっと昔の浦安のイメージであるのが本当なのでしょうが、川辺や海の近くはやっぱり現地で撮影したと思われます。『川島雄三 乱調の美学』(ワイズ出版)を読んだら「浦安にロケーションした」と書いてありますが、どれくらい現地で撮影したのでしょうか。

 昔の浦安は貝の漁や加工が盛んだったそうで、映画の中にも貝のむき身をする女性たちが出てきました。その名残で焼蛤や焼あさりなどが今でも浦安名物となっているみたいです。私はたまたま通りかかった昭和二十五年(1950年)創業の越後屋で焼蛤と焼あさりの折詰を買いました。創業七十年のさつま屋も有名みたいです。競合店があると土地の名物なんだなあと実感できますね。海苔屋は今も昔も名物のようで、町中でたくさん見かけます。

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越後屋は舟と貝の包装紙が可愛いです。

 そしてビックリするくらいの田舎の風景の中に、映画でも原作でもしっかり洋食屋があるのも新鮮でした。みんなカツライスとかカレーライスとかメンチボールとかコロッケを食べてました。確かに『明治西洋料理起源』(岩波書店)などを読んでも、日本全国に洋食屋が開店して地方に浸透するのって早いなあと感じます。

 浦安はこの映画が撮られた1962年(昭和三十七年)に工場排水や埋め立てによって漁場が汚染され、漁師さんたちが一部の漁業権を放棄し、1971年(昭和四十六年)にとうとう全面放棄したんだそうです。まだ昔の浦安を知っている人が生きていて、一部でも残っている時代に撮られた映画『青べか物語』は貴重な記録といえるでしょう。浦安市民だけでなく、現在の東京やディズニーランドを知っている人が見ても面白いのでは。DVD・ビデオ化されていないのは、もったいないですね。

 そして細かい話ですが、もう一個貴重なのは、この映画で「TAKARAビール」をいっぱい見ることができるという点です。タカラビールとは宝酒造が1950~60年代の限られた一時期だけ発売していたビールなのだそうです。宝酒造といえば今では缶チューハイとかが有名ですよね。

 主人公は作家で、東京から浦粕(浦安)に移り住み、町の人々に「青べかの先生(原作では蒸気河岸の先生)」と呼ばれています。森繁久弥演ずる主人公はバスを降り、根戸川(旧江戸川)にかかるうらかすばし(浦安橋)を渡って、ふらりと別世界に足を踏み入れ、たくさんのおかしな人々に出会います。まさに『洲崎パラダイス 赤信号』などにも通じる川島雄三の世界だなあと思うのは私だけではないはず。

 しかし原作の先生は森繁久弥ほど流行作家っぽくないです。新聞の雑文や少女小説などで食いつないでいた、まだ何者でもない若き日の山本周五郎の分身だと思われます。そしてよそ者らしく距離を置いて眺めつつも一緒に怒ったり悲しんだり、地元の人々への心の寄り添い方は映画よりも原作の方がちょっと近いように感じます。浦粕(浦安)を出てから8年後、30年後に再訪・再々訪した際の話が読めるのも原作の面白いところで、それがまたじーんと沁みます。そして再会した浦粕の人々が誰も先生のことを覚えていないのもまた、不思議なファンタジーのようで、何とも言えない余韻があってよかったです。

 『男はつらいよ・望郷篇』も浦安シリーズです。


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川の左側が東京、右側が浦安。

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「千本」のモデルとなった吉野家。原作を読んだらここを素通りなんてできません。

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2009.04.23

ONE PLUS ONE(1968年)

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スタジオに置いてあった瓶はたぶんコカ・コーラ。

 『扉の向こう』でザ・ローリング・ストーンズの『ONE PLUS ONE』を思い出し、1996年にリバイバル公開された際に購入したパンフレットを読んでいたら、『ONE PLUS ONE』を撮った時のジャン=リュック・ゴダールって三十七歳なんですね! 『扉の向こう』の宮本浩次も三十七歳でした。
 一貫した物語のある映画のような理解はできない作品ですが、青空にはためく旗と上昇するクレーンで終わるラストの浜辺シーンは何度見てもじーんと来ます。ちなみにDVDには貴重なメーキング映像が収録されているので必見です。

 

 『ONE PLUS ONE』の「ONE」は、ザ・ローリング・ストーンズの「SYMPATHY FOR THE DEVILS」のレコーディング風景の映像です。最初はボサノバみたいなリズムで、サビへの移り方なども決定していなくて中断してしまうのが、次第に聞き知っているアレンジへと変わっていく過程が面白いです。
 もちろん全編ほとんど食べ物なんて出てきません。しかし大変くだらないことなのですが、スタジオ内のバンドメンバーの皆が自分を囲むパーティションの上に呑みかけの煙草とか、瓶とか紙コップとか缶とかを置いているのが気になってたまりませんでした。パーティションなので、とても細いんです。それなのに、チャーリー・ワッツに至っては、ソーサー付きのカップまで置いています。
 結局、ストーンズの皆さんが何を飲んでいるのかは不明です。ただ一つ、コカ・コーラだと思われる瓶がありました。キース・リチャーズがもたれかかっているパーティションの上に置いてある瓶は、特徴のあるシェイプから明らかにコカ・コーラだと思われます。キースが演奏する度に、瓶の中の飲み残しがタプタプ揺れてました。
 アメリカの音楽の影響を受けて誕生したバンドを、アメリカ映画が好きだった監督が撮った映像に登場したアメリカを象徴する飲み物。下の本を読んだら、1960年代のコカ・コーラは、アメリカの人気清涼飲料水ナンバーワンの地位を不動のものとし、海外での売り上げをさらに伸ばし、1963年にはケネディのお墨付きを得て(コカ・コーラを飲んでいる写真を撮らせた)、公民権運動を受けて初の黒人営業マンを雇い、1965年の北爆開始後にベトナムにコカ・コーラ工場を増設し、しっかり時代の波に乗ってます。確かに1968年製作のこの作品に映り込んでしまうわけです。
 次は「LET IT BLEED」のジャケ写真のようなケーキを作ってみたいな。

Colabook
コカ・コーラ帝国の興亡―100年の商魂と生き残り戦略

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