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2009.11.07

縮図(1953年)

Saba01
鰹の缶詰は売ってなかったので金華さば缶詰を買いました。

 宮城県石巻市に行ってきました。せっかくなので、石巻を舞台にした映画でもないかと探してみました。明治時代に石巻からアラスカへ渡って村を作ったフランク安田が主人公の『アラスカ物語』(堀川弘通監督、新田次郎原作)、三船敏郎が金華山の捕鯨船の乗組員を演じる『港へ来た男』(本多猪四郎監督)など気になる映画を見つけたのですが、どれもビデオにもDVDにもなってないんですね。残念。


 


 そこで、新藤兼人監督による映画だけは見ていた『縮図』の原作を読んで石巻に行きました。徳田秋声著『縮図』は、映画では松島がちょっと映るだけなのですが、原作では主人公である芸者の銀子が働く「I町」として、石巻が物語の舞台のひとつになっています。芸者の話と言われると退屈そうと思ってしまうのですが、読み始めると意外に映画よりも原作の方が面白かったです。


 


 『縮図』の中で石巻は以下のように登場します。

その後間もなく市政の布(し)かれたこの町は、太平洋に突き出た牡鹿半島の咽喉を扼し、仙台湾に注ぐ北上河の河口に臨んだ物資の集散地で、鉄道輸送の開ける前は、海と河との水運により、三十五反帆が頻繁に出入りしたものだったが、今は河口も浅くなり、回船問屋の影も薄くなったとは言え、鰹を主にした漁業は盛んで、住みよい裕かな町ではあった。
 
 銀子は東京から千葉の蓮池(中央区)へ移って芸者として働いて家族を養い、好きな男性がいるのに置屋の主人に手をつけられて囲われ者状態になっていました。しかしカール・テホ・ドライヤー監督の『裁かるゝジャンヌ』を見て、もう芸者はやるまいと決心を固めて向島に戻り、父と靴屋を再開します。ところがやはり家族の生計が立たず、翌年の正月から石巻で芸者をやることになるのでした。InternetMovieDatabaseによると『裁かるゝジャンヌ』の日本公開は1929年(昭和4年)10月なので、『縮図』で描かれるのは1930年(昭和5年)の石巻だと思われます。

 『グラビア石巻』(亀山印刷)によると、市内に点在していた料亭が1928年(昭和3年)に新地(住吉町2丁目)に集められ、妓楼も建てられ、翌年から新しい歓楽街として営業が始まったそうです。銀子が石巻に呼ばれたのは、そのような町の背景があったからだと思われます。


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1929年(昭和4年)に中央三丁目に建てられた観慶丸商店。


 小説には銀子を口説く「河の州に工場を持っている罐詰屋の野良子息」が出てきます。彼は「なんとう目的もなく、ただ銀子が好きで、分寿々廼家にもひょこひょこ遊びに来、飯を食いに銀子を近所の釜飯屋へ連れ出し、にやにやしているくらいがせいぜいであった」男で、父親に二人の関係を問われたときも銀子は「たまに釜飯屋を付き合うくらいなのよ。あの男は天下に釜飯くらいうまいものはないと言っているくらいだもの」と言います。
 この釜飯男がバカっぽくておかしいのですが、この釜飯屋は、もしかして今でも石巻で営業している、1914年(大正3年)創業の割烹・滝川ではないでしょうか? せっかくなので鳥釜めしランチを食べてきました。磨きこまれて黒光りしている古い廊下に歴史が感じられ、釜飯は甘めの味付けで美味しく、行ってみてよかったです。


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「罐詰屋の野良息子」と銀子が行ったのは割烹・滝川?


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鳥釜めしが創業以来の味。個室だったので失礼して記念撮影。


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創業は大正3年(1914年)なのだそうです。



 割烹・滝川の近くに「『縮図』のおもかげ」という案内も立っていました。書かれているのは以下のような内容です。しかし石巻が「I町」になっているくらいなので、案内にあるような「中大黒」「アルプス温泉」「千登里」といった店の実名は原作には出てこないのです。この店名の出所はなんなのでしょうか? モデルになった女性が所属していた芸者屋や利用していた店ということなのでしょうか? それとも今、私が読んでいる原作は改訂版なのでしょうか? 石巻教育委員会に聞いてみたくなる、とても不思議な案内です。

「縮図」のおもかげ

<銀子はちょっと顔を直し子供に留守を頼んで家を出たがそこは河に近い日和山の裾にある料亭で四五町もある海沿いの道を車で通ふのであった。>

自然主義文学の最高峰徳田秋声著「縮図」の一説である。仲町(中央二丁目)の「中大黒」抱妓銀子と近郷の豪農の長男倉持との逢引の場「アルプス温泉」(門脇三丁目)の跡には庭石一個のみ。中大黒の玄関と待合「千登里」は昔のままの姿を残している。

石巻教育委員会
協同組合石巻商店会
昭和五十八年十二月建立


Syukuzu
不思議な「『縮図』のおもかげ」の案内。


 野良息子の工場で作る罐詰の中身が鰹だったように、鰹は石巻名物のひとつです。東京にいると初夏の「初鰹」ばかりうるさいですが、本当に美味しいのは秋の「戻り鰹」なのだと石巻の寿司屋のオヤジサンも力説してました。石巻を訪れた銀子の父親についても、「大洋の新鮮な鰹や気仙沼の餅々した烏賊に舌鼓をうち、鱈腹ごちそうになって帰って行ったのだったが、ここで食べた鰹の味はいつまでも忘れることができないであろう」と書かれています。しかし金華サバ、いわし、穴子、鹿(!)の缶詰はあるのですが、鰹の缶詰は見つけられませんでした。今はわざわざ缶詰を買わなくても、クール宅急便とかで美味しい魚を取り寄せればいいんですもんね。


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野良息子の罐詰工場があった設定になっている北上川の中州。


 原作の銀子は「映画マニヤ」で、『裁かるゝジャンヌ』や『椿姫』を見たり、『あゝ無情』や『風と共に去りぬ』を読んだりして、我が身を振り返ったり行く末を考えたりします。町には資生堂や松坂屋やライオンがあり、人々はパンやスープを食べ、ソーダを飲み、アイスクリームやケーキを食べ、モダンな文化の中に暮しています。シビアな貧乏や身分差別と、「世界大戦以後のモダーニズムの横溢」が共存している世の中が感じられるところは、新藤兼人の映画には見られなかった面白さでした。小説は瀬川という人物が登場したところで未完で終わるのですが、瀬川が「一廉の食通」であっただけに続きが読みたかったです。銀子と一緒にどんな東京を見せてくれるはずだったのでしょうか。


 


Syusei
秋声と東京回顧―森川町界隈



石巻港直送!金華さばみそ煮(缶詰)

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コメント

OLマリコ-さん
読んで面白かった。僕は縮図の翻訳が終わったごろですので石巻の話は参考になりました。行ったことがないだけれども今更行っても何も残っていないでしょう。
宜しくお願いします
ハンス・アンカルクローナ
Linköping, Sweden
http://www.proz.com/translator/2780

投稿: Hans | 2015.05.03 22:09

ハンスさんコメントありがとうございます!
「縮図」をスウェーデンの方々はどんな風に読まれたのでしょうか。不思議な気分です。
東日本大震災で、釜飯割烹の滝川の建物も、中洲の風景も変わってしまいましたが、まだありますよ。観慶丸商店も残ってます。
日本にぜひ遊びに来てください(^^)

投稿: OLマリコ | 2016.02.02 18:08

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